趣味Web 小説 2008-10-13

「白夜行」テレビドラマ版の感想/共感主義はもうたくさん

深夜に「白夜行」テレビドラマ版の再放送が行われていて、今まとめて見てる。原作は刊行直後に読んでいて、直木賞を取れなかったことに残念がっていたことを覚えてる。常人ならざる価値観を持って生きる二人を描いた作品だったと思う。

ドラマ版だと、やっぱりテレビだからしょうがないのかな、主人公二人を、どうにかして共感できる犯罪者ということにしたいらしい。なんだか悲しい。異常な二人の内面なんか書いたところで絵空事だろう。常識人の空想する異常犯罪者像でしかない。だから作家は、異常な二人に振り回される周囲の一般人を描いた。

もっとも、東野圭吾さんも、多分に編集者の商売上の都合であるにせよ「白夜行」の姉妹作という触れ込みで刊行された「幻夜」においては、相当に俗っぽい描写をしてる。仮に雪穂と美冬が経歴が違うだけで中身は同じ人間だとすると、テレビドラマ版もそう悪くないのかも。

個人的には、雪穂は淡々と自らの想像する幸福のステップを淡々と駆け上がり、亮司もまた淡々とその障害を排除していく、二人が会うことも話すことも(基本的に)ない、そんな姿を想像していて、それはもちろん一般人の共感を敢然と撥ね付けるものなんだけど、そうでなきゃ「神」話たりえないだろう、と。

でもコンピュータRPGの感想などを見るに、プレーヤーと価値観の相容れない主人公を設定すると、とかく作品全体の評判が落ちるのが世の定め。日本でもなければ地球でさえない異世界を舞台とし、人間に似てはいるけど人間でさえないキャラクターを設定している作品なのに、そういうことになる。

ましてや広告収入だけで製作しなきゃならない地上波民放局製作のテレビドラマだもの、一般人に共感できない主人公じゃあ困るわけだよな。いや、だったら無理してドラマ化する必要ないだろう、といえばそうなっちゃうような気がするんだけど。

とはいえ宣伝効果で原作が100万部を突破、東野さん的には、ドラマ化を許可した結果、より大勢に自分の作品を届けることができたわけだ。1000万人の誤解が、代償として納得できるものかどうかは、東野さんの価値観次第、か。

ところで「白夜行」テレビドラマ版で雪穂を演じる綾瀬はるかが、10月25日公開の「ICHI」で主役の座頭市に扮するのだという。いったい何のために市を女性に変更したのか。公式サイトによれば、現代の観客が共感できる主人公にしたかったから、だそうだ。

なるほど、たしかに座頭市は常人の思考を超越したダークヒーローだった。凡人の甘っちょろい同情に潜む欺瞞を見抜き、斬り捨ててきた。勝手に親近感を抱いて近付いた者の少なからずが、疎んじられ、ときに怒りさえ買い、心を傷つけられた。そんな彼だからこそ、救うことのできた世界がある。それが座頭市の世界。

いま、それじゃあメジャーな映画は作れないのだろう。カッコいいが、共感できない主人公ではね。共感できない=理解できない、つまらない……何かそういう、価値観の多様性を面白いと思えない、感性のありようが、蔓延しているような気がする。

私は近年のドラマや映画の絵作りは本当に素晴らしいと思ってる。あとこれは異論も多いだろうけど、役者も芸達者だと感じる。耳の悪い私の実感として、滑舌が悪くて何をいってるか聞き取れないことは、古い作品の方が多い。それだけに、脚本が残念。

モノクロ時代の作品でも、子ども向けのは今も昔も大差ない。今でも常識的な考え方に挑戦する作品は、そこそこあるわけで。問題は大人向け。とくに時代劇。もともと時代劇というのは、現代とは異なる価値観に生きる人々を描くための舞台設定じゃないか。なのにどうして、共感主義で物語を作ってしまうのだろう。

狙い通り、それで大受けしているならいい。でも実際には、そうでもない様子。でもDVD込みで収支トントンなら、時代劇を飯の種にしている人が食いつなげる。それでいいっちゃいいのだけれど。

大河ドラマもずいぶん前から、現代人のメンタリティを持ったキャラに侵食されてるよね。2001年の「北条時宗」は楽しめるドラマだったけど、それでも、これなら歴史ものじゃなくてSFにでもすればいいんだ、とは思った。ま、そうはいっても歴史ものだから大勢が視聴したのだろうし、資本主義の帰結か。

追記

「白夜行」テレビドラマ版の最終回を観た。最後まで泣いたり笑ったり忙しい雪穂と亮司だった。プロデューサーは二人を「モンスター」にしたくなかった、らしいが、敢えていうなら、そういうのは凡人の思い上がりだと思う。何でも自分の共感できる小さく狭い世界に引きずり込んでしまう蛸壺主義。

あと原作が高度成長末期からバブル時代までを背景とすることで説得力を与えていた部分で、いろいろ無理が出ている感じも少々。2004年の「砂の器」テレビドラマ版が、時代を半世紀近く移した結果、いろいろ設定を変更したにもかかわらず、それでも犯罪の動機がリアリティーを欠いてしまった例を思い出す。

ま、いろいろ文句をいってるけど、「白夜行」テレビドラマ版も面白かったから最終回まで見続けたわけで。八千草薫さんの演じた雪穂の義母、とくにその最期とかね。

にしてもドラマ版の主役二人、自分と同年齢の設定なんだよね……。うーん……。ランドセルに堂々と「人殺し」と書かれている小学生を放っておくような時代じゃなかったと思うんだけどなぁ。

さらに追記

DVD版の第1巻を観た。製作者のコメンタリーには呆然。「小学生で『風と共に去りぬ』ってすごいよね」「ふつうは字とか読めないよね」なんて話してる。いや、だから、フツーじゃない二人だから、フツーじゃない人生を歩むんじゃないのか。

予想通りっちゃ予想通りだったけど。まあそりゃそうだ、テレビドラマの製作には極めて大きなエネルギーを要する。そのヘッドには確信が必要だ。原作がどうだこうだというのはもう忘れて、こういうドラマを作りたいんだ、という確信、信念が。ケラケラ笑っている脚本家には苛々するが、これくらい自信がなきゃ、仕事にならないんだろう。

たしかに第1話はいい。役者(福田麻由子と泉澤祐希)が最高。モノローグはカットした方がもっといいのに、と思うけど、それでも。あと別れのシーンでボロボロ泣くのがまた違和感ある。が、石丸PDは、泣くのが正しいんだという。もういい。

なんか疲れた。初回と最終回だけのEDが好き。

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