TBSが大プッシュしている`08年秋期「土8」ドラマ「ブラッディ・マンデイ」(原作は週刊少年マガジンの大型連載)は、単純にリアリティということを考えると噴飯モノ。だけど別に、それはそれでいいんだろう、と思う。ようは想定する視聴者(の多数派)が(仮にリアリティを感じないとしても)納得すればいい。
糸井重里さんが監修したコンピュータRPGの「MOTHER」「MOTHER2」は地球を舞台にしているはずなんだけど、当たり前のように超能力が登場する。少年が無茶苦茶な「発明」をしたり。アイデアがどうこうというより、なぜ素人が設備もないのにそんなものを作れるのか、という。それでも大勢が傑作と思ってる。
どうして今、自分が「MOTHER」のアホらしさは少しも気にならないのに、「ブラディ・マンデイ」のバカバカしさについては何かいいたくてうずうずしているのかは、わからない。が、その気持ちも1日経てばどこかへ消える。
現実の殺人事件の報道に接して、安直に「事実は小説より奇なり」なんていう人は、世の中に数多あるエンターテインメント小説を読んでいないのだろう。清涼院流水さんのとか、絶対に読んでない。あれを読んでなお、事実は云々とか言い出す人がいるのだろうか。「金田一少年の事件簿」や「名探偵コナン」でもいい。
「家政婦は見た!」にしたってさ、あんなにしょっちゅう派遣先の家庭を壊して回る家政婦がいるわけがない。1997年の秋には連続ドラマ化になって、毎週のように「事件」を暴いていたわけで。
ところで、テレビ製作者のインタビューなどを見ると、「リアリティーにこだわって専門家の意見を参考にしながら作ってます」なんて話がよく出てくる。出来上がったものを見る限り、「ご冗談でしょ」といいたいが、つまりはそういうことじゃなくて、そういう談話自体が視聴者受けを狙ったものなんだろうね。
見る人が見れば茶を吹く描写でも、のめり込んで見ている人はたくさんいるわけで、どういうわけかリアリティーとやらを重視しているらしい視聴者にとっては「自分が楽しんでいるドラマには専門家の保証つきのリアリティーがある」ことが嬉しいみたいなんだよな。
面白かったならリアリティーなんかどうだっていいだろ、って私などは考えるのだが、そんなこと力説しても「はあっ!?」てな反応。「電車男」や「ロト6で3億2千万円当てた男」が創作だとか何とか、どうでもいいだろうに、それで「がっかり」する人がいるから、ネガティブキャンペーンが意味を持つ。
最近、ドラマよりドキュメンタリー、みたいな流れがあるそうだけど、新聞や週刊誌が嬉々としてそういうことを書くのって、もう何度目? 半分創作みたいな話を「事実」として報じてる媒体としては、「作り話」を「作り話だからつまらない」とか堂々と書けちゃうのは溜飲が下がる思いなのかもね。
ま、その新聞や雑誌にも小説が連載されていたりするわけだけど。いつだって少数派の中の少数派への配慮は可能な範囲内できっちりやるのが商売の基本。
「ブラッディ・マンデイ」は素人でもフィクションである箇所がよくわかるので、早速いろいろ嘲笑のネタにされているのだけれど、海外ドラマと比較すると子ども騙し、みたいな意見は解せない。「24」とか、バカバカしさの極みじゃないですか。「ER」とかリアリティ志向といわれている作品でも大差ない。
多少は騙すのがうまいのかもしれないが、いずれにせよ、ここが嘘だったら全体の話が成立しないだろう、みたいなところでフィクションが混じってる。たまに、じゃなくて、しょっちゅう。そういうことに、気づいているのかいないのか。
私は技術者ばかりの職場で働いているが、意外と理系人間でも自分の専門以外のことはちっともわかってないんだな、と思う。よくよく考えてみれば自分もそうなんだけど。
とくに誤解されているのが、監視カメラの粗い画像を「処理」すると鮮明になるとかいうやつ。95%くらい嘘。静止画からの「処理」は100%嘘。国内、海外を問わず、映画やドラマで当たり前のように出てくる「技術」から、「そんな馬鹿な」と疑うことすら忘れてる人が多い。
*製作陣が技術面のリサーチの徹底を誇っていた「科捜研の女」にすら、この非科学的な画像「処理」が登場したから驚いた。現実には不可能なのだが、世間的には可能であると思わせたいのだろうか。あるいは単純に脚本家が他に犯人をスマートに特定する道筋を思いつかず、時間切れで押し切っただけなのか。
はてなダイアリーでは大好評っぽい。これくらいの非現実的な設定・展開はワクワクするのに障害とならない、と。
そうか……。リアリティーがどうとかいって貶している人ばっかりに思えたのは、私の情報収集先がそういう人たちの巣窟だったからに過ぎないわけか。