常用漢字表の改訂について延々と審議中。どういうわけか2008年以降の議事録が未掲載なのだけれども、1〜19回の喧々諤々を読むだけでもお腹いっぱい。
結局、何を話し合っているのかというと、行政と国民のコミュニケーションは基本的に言語で行われるわけだが、義務教育の範囲外の言葉を弄して行政が国民を騙すようなことがあってはいけない、と。だから公文書で使える漢字や表現には一定の制限が必要である。
ところが現状、例えば大阪の「阪」が常用漢字にない。これでは大阪府は府民に自らの名を名乗ることもできないではないか。仕方ないから、これは例外ということになっている。
現在の常用漢字だけでは実用にならないのが実際であり、なんとなく雰囲気で制限を適当に踏み越えて危ういコミュニケーションが行われているのだけれども、改善されるべき状況なのかもしれない。
さりとて、全国の地名、固有名詞、古めかしい表現などにしか使われない漢字、などを節操なく取り入れることもできない。なぜなら、一般的な小中学生に対して教育保証できる漢字数は有限だからだ。現在の教育漢字(小学校で学ぶ漢字)は僅か1006字だが、これほど数を絞り込んでも学習到達度は悲惨という他ない。
というわけで、何度も何度も堂々巡りを繰り返しつつ、「いまさらそういうことをいいますか?」「でもやっぱり納得できないんです」的なぐんにゃり感を漂わせつつ、ちょくちょく新メンバーが登場するたび同じような質問が飛び出す非効率に耐えつつ、結局のところ委員の独断と偏見に基づき、新案が固まりつつある。
面白いのは、どんな字にも関係する業界というものがあって、1字でも削るとなると大反対の声。「斤」を削ろうとしたらパン大好き人間たちの突き上げを食らう。パン食の習慣を持つ人は増加中であり、「斤」は重要な生活語である云々。銑鉄の「銑」、紡錘の「錘」など、産業界の反対は封殺できても、国民の声はね。
いったん追加候補に入れた字を、検討の末に却下予定としただけでグワングワン荒れ狂う。「俺」とかね。私文書で使う分には勝手なんだから、使いたい人は勝手に使えばいいだろうに、常用漢字に入れろ、つまり義務教育で教えろ、と。いま「俺」を義務教育で学ばなかったせいで困ってる人がいるんか。
みんなそうやって勝手なことをいうなら、小中学生は原則として土曜日も登校させることにして、あなた方がボランティアで漢字を教えたらいい。どこかに無理がくるんだよ。「自分の常識をみんなの常識にしたい」って気持ちはよーくわかるんだけどね。世の中、他人に血を流せというばかりじゃあ、ねぇ?
かつて漢字テストは大得意だった私も、今ではそれほどでもなかったりする。補習塾で出会った国語力悲惨な生徒たちは今頃、どうなっているのだろうか。想像するだに恐ろしい。中学国語の漢字教育は完全に崩壊してますからね。全部宿題扱い。トップクラスの生徒以外、完全サボり。テストでも漢字は「捨て」問題。
これくらいは義務教育で教えていいんじゃない? って、国語のお得意な大人たちは好き勝手いうわけだけど、委員会の面々は、よく抵抗してますよ。なんとか2000字程度という枠内に収めようとしてる。統計的手法で可能な限り客観的な裏づけをして字を選ぼうと努力してる。お疲れ様です。
どうせ誰も満足なんてできやしないんだ。絶望的な戦いである。
さりげない自慢でさえ「鼻につく」とかいう、その敏感さの方を改善してほしい。まあ、自慢したいのも、それを聞いて不愉快になるのも、どちらも人間らしい情動ではあるのだけれど。
やっぱこの辺とか読んでも、自慢話にアレルギー反応を起こす人の方が「私の敵」っぽい。
「自慢ですか?」「私にはとくにそういった意識はありませんが、仮に自慢だとして何か問題でも?」
開き直りっていうか、自慢の何がイカンのか、って話で。
仮説をモデル化しました、という話。次はこのモデルを検証してみて、肯定的な結果が得られれば、仮説に一定の妥当性が認められることになるのかな。今回はモデルのレベルで散々批判されちゃってるわけだけど、私は面白いと思った。
個人的には、女性の上方婚志向が理解を得られなくなってきた背景に、むしろ関心があるかな。
こちらでは女性の上方婚志向、男性の下方婚志向という歴史的な構図は完全に捨象されてしまってる。
養子を貰えばいいんじゃないか。……と思ったら、何人もの人がそうアドバイスしていて意外な感じ。
そういえば無痛分娩というのもあるよな。……これもアドバイスの中にあった。へぇ〜。
養子なら年齢だって選択可能。中学生や高校生くらいの年齢の子どもを養子にすれば、子育て期間も短くて済む。子ども=出産と結びつけるのをやめたら、いろいろ自由になる。
悲惨な人たちの輪の中に入っていけば、「勝ち組」と呼ばれますよ。
例えば、職がない人から見れば「勝ち組」でしょ。大学に行きたくても行けなかった人から見ても「勝ち組」だよね。そういう人たちの集まってる場所に行って自己紹介すると、「うわー勝ち組ですね」って素朴にいわれますよ。皮肉でもなんでもない。率直な心情の吐露として、真正面から羨ましがられるの。
それでも釈然としないかもしれないけど、だとすれば結局、自己肯定の問題だということ。自己卑下が心地いい、って人は多いので、ま、上ばっかり見て不幸ごっこするのが好きなら、私は何もいいません。
大阪府の職員が「俺は不幸だ」といったら世間から袋叩きにあったりしてたけど、怖いな、と思ったよ。放っておけばいいじゃないか、あんなの。まあ、ムカついた、と意見表明するのも自由なんだけど。世の中、下には下がいるんだから、ブーメランのように自分にも返ってくるでしょう。
いや、大阪のあれば非常識すぎ? 常識とか、非常識とか。ちぇっ、また多数派原理かよ。
ハンダづけが上手じゃなきゃいかんなら、そういう試験をすればいいと思うんだよね。ちゃんと中学・高校の科目に「技術・家庭科」があって、工学部志望なら工具の使い方や初級の金属・木材加工はきちんと学んでいるはず。入試で到達度をチェックすればいいだろう。
大学入試で実技をみるのは、美大のスケッチ、音楽大のピアノなど、先例は多々ある。
ただ工学部の場合、企業だって、(たいてい)実技系の入社試験はしていないし、実際、入社後に半田ごてを一度も持たない人も多い。大学も企業も実技に長けた人材を求めていないということなんじゃないかな。
ていうか、リンク先の話の枕になっているエピソードだけど、大卒よりパートのおばちゃんの方が役に立つ仕事は、素直にパートさんに任せておけばいいわけでね。給料の高い人間が給料の安い人間の仕事をできない、なんてのはそう珍しいことでもないと思うんだけど。いったい何が気になるのか。
現場を知らない人間の設計に苦しめられる話、てのはもう耳タコなんだけど、だったらあんたが設計しろ、というと、不具合の改善しかしてくれない。抜本的に発想を変えた新設計とか、絶対に(と書くといいすぎかもしれないが)やってくれないからね。ようは役割分担なんだよ。
そりゃ何でもわかってる完璧超人がいれば最強なんだろうが、現場を知らないなりにコストを半減できる新設計をする大卒がいて、「ココとココ、こんな設計じゃ実際には作れないよ。こういう風にしなきゃ」とアドバイスする現場の人がいれば、結果は同じ。
ようするにさ、「大卒のくせにこんなこともわからんのか」というんじゃなくて、「大卒ってこういうことが苦手なんだよね。分業、分業」って粛々と設計の改善を進めていけばいい。
期待するから裏切られる。
といって、何かに期待するのは人の脳の欠陥なので、どうしようもない。だから努めて「あー、俺は今、他人に期待しているな。でもきっと裏切られるんだよなー。そうだ、そうに違いない。万が一うまくいったら幸運に感謝しないとなー」と失望の予想を行う。
他人と待ち合わせるとき、私は本を2冊持っていく。まず、相手は遅れるだろう。そして、こないかもしれない。いちいち、そう考えるようにする。すると、けっこう本が面白くて、別に相手が来ても来なくてもどっちでもよくなる。
自分は**ができないから欠陥人間だ、とかいう人って、逆に、自分にできることをできない他人を「欠陥がある」と認識してる、ってことだよな。
面倒くさいこといわず、他人に興味を持てない自分を肯定すればいいんだよ。それで困る人はいない。
俺も自分勝手で人嫌いだけど、世界は優しいよ。半ば引きこもりでも仕事はできて、衣食住に不自由しない。立派なもんだ、自分。
電話はいつも留守電。もう何年間も、そう。祖母が亡くなったときも、連絡はすぐ入ったのに、丸1日、気付かなかった。でもさ、それくらいでいいんじゃない。最近の世の中が忙しすぎるんだって。
上を見て、自分には欠陥があるとか何とか。そんな眠たいこといわず、自分を基準にして他人を尊敬すればいいんだよ。
こういう人ってたくさんいると思う。その人たちはどうやってこの世界と折り合いをつけているんだろう。
どうもこうもない。今のままだと世界に殺されるの? もう生きていけないの?
世界は一個人のことなんて放っておいてくれるでしょ。何もしなくたって、最初から折り合いはついてるんだよ。
世界は変わらない。だから幸せになりたきゃ、自分の認識を変えろ。
脳内お花畑で何が悪い。不幸だ、不幸だといって破滅へ突き進む方がよっぽどヤバイだろ。
アメリカの著名人はしばしば養子をもらってニュースになってる。日本ではあまり聞かない。なんでだろ。かつての日本で、養子になったため不幸になった人が、そんなに多かったのだろうか。私の祖父は、生母と養母の家を日常的に行き来しつつ、どちらの家族にも愛され、幸せに育った。そういう人も多いと思うが。
不妊治療とか、したい人はすればいいんだけど、まず養子を検討したらいいのにな。そういう社会になれば、逆に子育てに向かない人が安心して子どもを手放せるようにもなるんじゃないの。人間として失格、みたいな事大主義があるからプライドを刺激する。人には向き不向きがある、それだけだ、というノリの方がいい。
「本当の」お母さん、とかね。個人的には嫌な言い方だと思う。なんでそんな言い方が広まっちゃったのかなあ、と。やっぱ、生母より養母でしょ。迷う余地なし、だと思うんだけど。調べなきゃわかんない血のつながりなんかを重視する情報優位の発想には与しない。
代理母出産で話題の向井亜紀さんは、明確に夫の遺伝子を残すことを目的になりふりかまわず突き進んだ。この熱い遺伝子信仰には違和感がある。どんな遺伝子があろうと、その後の成長如何で善にも悪にもなるのではないか。夫の素晴らしい特質は、教育によっても伝えることができるのではないか。
その後、向井さんは日本の法律によって自分が書類上の生母となれないことを怒ったのだけれども、こうなるともう遺伝子の話はどこかへすっ飛んでいる。別に書類にどう書かれていたって、向井さんが育てれば、向井さんが「お母さん」になるんじゃないのか。どうしてそれじゃダメなんだろう。
個人の価値観の問題といえばそれまでだが、ニュースの取り上げられ方を見るに、今後こうした私とは異なる価値観の持ち主が多数派を形成していくようだ。だんだんイライラの種が増えていく。
元成田市民としては、多数決を徹底的に無視して我を通す人々と戦うには強制力が必要であり、警察の暴力は日本の多数派の付託を受けた政権が法律に基づく運用をする限りにおいて、支持したい。中に人がいるから家を壊せない、じゃあゴネ勝ちだ。
多数派を説得できないから実力行使、そんなのがまかり通ったら法治など実現できないので警察が暴力を振るう、対抗のため過激派と結託して暴力闘争。そもそもが多数決の否定であり、私は彼らの主張に与しない。何かというと生存権なんていうのだが、生きるってのは、我慢しなくていいってことじゃないと思う。
個人的によくわからないのが、デモという表現形態。仲間内の結束を高める目的だ、というなら、まあ、わかる。だけど基本的に、デモなんかしている時点で、多数派に浸透する気がないんじゃないか、とか思ったり。
「本が売れる→テレビ出演」というルートは現在も生きているので、淡々と言論で勝負すればいいじゃないか、と愚考する。藤原正彦さんも、本を300万部くらい売って、テレビで1000万人に自説を訴えた。ワイドショーのコメンテーターなんかも、本が数万部売れた、みたいな人が多い。
自民党議員と民主党議員とでは見解の相違が明らかなので、経済政策を軸とした政界再編はありえない、と読み取った。
「ゴシップ誌の報じる東京」と題された本が、実際にゴシップ誌が報じていた記事を多少脚色して紹介していたところで、それを問題視するのはやり過ぎの感がある。仮にそれを是とするにせよ、だったらまず、日本国内で売られている原典の方を「嘘ばっかり書きやがって」と批判すべきだ。
今はなき「海外ボツ!News」を読んで外国人を散々バカにしていた日本人はたくさんいる。素直に(ディテールまで)全部ホントの話と受け止めた人も少なくない。ネタ元がゴシップ誌とわかっていても、意外と信じられてしまう現実はある。だけどネタ元記事が、祖国・同胞への侮辱だ、なんて海外で盛り上がるものかね。
外人は関係ない、日本人のプライドの問題だ。そういうなら、それでもいい。でも、翻訳された途端に屈辱を感じる感性ってのが、どうもね。低俗雑誌が国内で流通して、日本人の間で勘違いが広まる分には気にならない、わけでしょ。
関係ないが、2chだと「同胞」って言葉を使うのは朝鮮人や中国人で、日本人ではありえないのだそうだ。「同胞」という言葉を使った人が、それだけで工作員認定されて話をまともに聞いてもらえなくなっていた。トホホ。ていうか、そもそも「朝鮮人の発言は一切信じない」とか、非常に恐ろしいことだと思う。
私は「別解規制は合理的」と考えてます。定期試験の目的は、授業で学んだことの定着度を確認する、というもの。問題の答えが合っていればいい、という話ではない、との認識です。
リンク先に挙げられているのはいずれも「知識」によってラクに答えを得る手法が否定された事例。しばしばその「別解」でしか問題を解けない生徒が発生する手法なので、もともと大いに警戒されていた事情があります。なので、塾に行けない子に合わせる、というのは、あくまでも規制する理由のひとつだと思います。
生徒が自分で見つけた素朴な別解まで規制されることはない、と思う。というか、そんなの判断できないでしょ。授業で扱っていない何とかの定理をいきなり持ち出すから、オイオイってバツになるんで。
センセーショナルな書き方の記事で、みんな思い思いに想像力の翼を広げてワイワイやってるけど、杞憂なんじゃないか。
例えば、教科書の例題や、授業中に扱った練習問題を、そのまま定期試験に出す場合があるのだけれど、そういうとき、「授業で習った解法で解け」と指示するのはアリだと思う。一字一句同じでなきゃならないということはないが、習ったとおりの方針で解かねばならない、ていうね。
なぜそれが必要かといえば、連立方程式を解くのに、代入法しか使えない、なんていう生徒が実際にいるからです。加減法と代入法を、係数を見て自在に使い分ける力を育てたいのに、片方しか理解できなかったけど、それで何とかなるのでそれ以上お勉強しない。意外と少なくないんですよ、そういう子。
掛け算を習っても足し算に固執するとかね。そりゃ解けますよ。しばらくは解けますけど、それでいいのか、という。小数の計算で行き詰るじゃないですか。一切の別解を認めない、てのも、場合によってはありえると私は思いますね。
日本の芸能人の9割超は日本国内でしか活躍できないだろう。北野武さんやタモリさんは、その昔、所得税の累進課税を「やる気なくす」といってたけど、「だったら海外へ行けよバーカ」と思っていた。で、相当に最高税率が下がった今、お二方のやる気がどれだけ増したのか、聞いてみたいね。
所得税の累進再強化をしたら才能が海外に流出する、なんていう人がいるけど、格差社会とかいって庶民が元気をなくすのと、どっちがいいのか。累進緩和から数年経ったいま、経済学者のどなたかが、累進緩和の功と罪を検証してくれないものか。法人税だってそうだ。減税の効果を誰が検証しているのか。
景気が回復したとかで、所得税減税が終了した。だったら累進緩和も法人税減税も終了したらいい。なのに自民党だけでなく民主党も、そういうことをいわない。客観的な根拠があってそうなってるなら、納得もする。だけど実際はどうだろう。新聞記事を読む限り、「懸念」一本槍なのだ。
どうにも理解に苦しむ。
肉なんか食べなくても人は生きていけるし、これからの食糧難の時代には菜食主義が推奨されるだろうから、園児が菜食主義者になるのはよいことだ。平均寿命が少々短くなっても、大した問題ではないと思うな。だいたい散々肉を食べて育ってから罪の意識に目覚めるよか、よっぽどいいんじゃないの。
ところで、私の両親はヒヨコから可愛がって育てた鶏や兎を食べ続けて育ったわけなんだけど、別にそれでどうということもなく。愛着を持って育てたなら殺せない、とか、都会人の想像でいい加減なことをいってほしくないね。病気になったら心配して、看病して、それでも食べると決めたら食べちゃうの。
ところで鶏の場合、オスならヒヨコの段階で、メスなら卵を産むペースが落ちてから、食べる。母は「男って、つくづく価値がないのね」という感覚が身に染みたとか。
まあ、ふつうは植物を題材にするよね。それはそう。だけど、教育に多様性はあっていい。私立の保育園なのだから、保護者には選択の自由がある。その日だけ休ませたっていいだろう。
当人の気持ちは関係ない、といえば、イタリアの遺跡に落書きした日本人が社会的制裁を受け、イタリア人が驚いた事件もそう。大聖堂の関係者は落書きを歓迎こそしていないが、厳罰は求めていなかった。また多くのイタリア人は落書きなど何とも思っておらず、日本人って恥ずかしい連中だな、なんて考えもしない。
でも、だから日本で落書き犯が免罪されるわけではない。殺人事件が起きたら、被害者が犯人の無罪放免を望んでも、粛々と捜査が行われ、犯人が逮捕され、裁判にかけられ、処刑される。社会的な問題では、個人の意思よりも社会の意思が重要である。もっとも、落書きというのが、どの程度、社会的に重要な事件か、その点は疑問が残る。
「日本人=落書きとかしない人々」という認識が海外に広まるといいな、と私は思っていて、今回の件は、個人的には歓迎。だけど、こうした倫理的な問題で噴き上がる傾向は、多くの場合、私にとって不愉快な事態につながっていく。
2chまとめブログとかをみると、罵詈雑言が並んでいる。醜い。こんな「正義」はいらない。「マスゴミ」とか罵って溜飲を下げてる人たちより、マスコミの方がよっぽど言葉を知っている。
こんなのを面白いとか何とかいってる連中が世間の多数派たりえるか。私は無理だと思う。ていうか、無理だと信じたい。
たまたま今回「ハゲ」呼ばわりされた人は平気だったのかもしれないが、こういうのは本人がいいといっているからいいんだという話ではない。社会がこのような状況を許容するかどうかの問題だ。
双方が了解していればいい、なんてね、今回の事例には当てはまらないよ。なぜなら、了解を得てから「ハゲ」発言があったわけじゃないからだ。結果オーライでしかない。会場の多数派に笑われた人が傷つき倒れる可能性に、何の配慮もなかったじゃないか。いざというとき、どう対処するつもりだったというのか。
基本、基準は弱者に置くべきだ。ニコニコ大会議がニコニコ現実とやらのショールームだったなら、私は断固拒否だね。これくらいならOKという現在の「ニコ厨」基準が動かないなら、ニコニコ動画はマイナーなままでいてほしい。
こんなのがまかり通るなら、ある種のテレビ番組批判なんか足元から崩れてることになるよな、とも思った。私は「PTA的ヒステリー」には大筋で共感してる。「それくらい、目くじら立てるな」が、どれだけ弱者をおいてけぼりにしているか。弱い人が強くなるより、強い人が気を遣う方が先だろう。
小学校中学校で友達いじって遊んでたら「それ、いじめだろ」とか言う人がいて「こいつ寒いな」て感じですかね。
ていうか「ニコニコ大会議」とか行くような二コ厨はそんなコメントでなんか言われるだろうくらい「織り込み済み」なんじゃねーの?目の前のでっかいスクリーンでコメント流れてたんでしょ。
多数派体質の人って、すぐにそうやって勝手に不文律を押し付けて、その場における少数派の気持ちを押し潰すんだよね。いじめをなくそうとしたら、双方に暗黙の了解があるいじりだって、制限せざるを得ない。人の判断力には限界があって、エイヤッの判断は安全側に振るべきだから。世界はもっと寒くてよい。
建前文化は窮屈だ。頑張って守り立てないと滅びてしまう。
ymScottさんの「現場に居なかった人は語るな」?その現場に居た人が「パラダイムシフトでこれからお前ら全員この場に巻き込まれる!万歳!!」と言ってるのに?当人らが内輪で済ます気ならこっちだって何も言わない。
というコメントも「そうそう」と思った。
音楽のサンプリング文化は、たしかに発生当初は無許可引用がしばしばあったけれども、しかしみながみなそうであったわけではなく、基本的には許可を取るものだった。その後、90年代に入ってアメリカでは許可を取らないサンプリングは違法という判決が出たので、今ではみんな許可を取っている。
そういう事情を押さえずに、MADはなぜダメなのか、なんていってもね。原典の権利者に直接的な利益の還元を全くする気のない、「とにかくタダで使わせろ」という人々が文化だのかんだのといっても、相手にされなくて当然。許可を取ってやっていれば、誰が文句をいうだろうか。
MADが違法ならコラージュも違法? そう、だから許可を取れ、と。
気にしすぎ(2008-02-15)にご意見をいただいた。
>これも同様で、気にしたい人はすればいいが、どうでもいいといえばどうでもいい。 ←そのどうでもいいものにリンクを張って、「どうでもいい」とはこれ如何に?
自分が「どうでもいい」と思ってるものをありがたがってる人に水をぶっ掛けたい、という意図。でも、よくよく考えてみると、takoponsさんの記事をありがたがって損している人はいないので、自分の記事はもっと「どうでもいい」ということに気付き、虚しくなった、ということを続けて書いてる。
takoponsさんの記事には害がないからいいけど、世の中ときどき「どうでもいい」ものを「どうでもいい」と評価する人が少ないせいで、わけもなく大騒ぎして無用の社会的コストがかかっている、という事例が出てくる。BSEとかね。韓国では、政権まで危うくなっているのだそうな。
http://deztec.jp/design/YY/notemm.html(YYは西暦の下二桁、mmは月の二桁表記)
「上記URIで下書きファイルを公開中」とお知らせしたら、はてなダイアリーなら更新もラクなんじゃないですか? と、ご意見くださる方がチラホラ。
ラクだというなら、どうぞあなたがやってくださいよ。文章はもう、あるのです。コピペするだけなんです。はてダに記事を投稿する手間暇をかける価値があると、そう思う人が、自ら作業すればいいんです。……と返信したら、それっきり。適当なこといってすみませんでした、くらいの反応があってもいいんじゃないの?
以前、掲示板がほしい、なんて意見がありました。「じゃあ、あなたが掲示板を用意して、きちんと管理してくださいよ。そうしてくれるなら、公認掲示板としてリンクしますから」と返事したら、それっきり反応なし。いい加減にしてほしい。
「簡単ですよ」「ラクチンですよ」そんな言葉に何度も騙されてたまるか。
どうしてこういう、自分じゃ面倒くさくて絶対にやれないようなことを、甘言を弄して他人にやらせようとするのかね。これが自称「ファン」とか「愛読者」なんだから、バカバカしくなるっての。俺はあんたらの奴隷じゃないんだよ。
2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1月 | 175 | 148 | 13 | 22 | 22 | 13 | 38 |
2月 | 11 | 17 | 40 | 5 | 12 | ||
3月 | 11 | 19 | 36 | 13 | 16 | ||
4月 | 29 | 18 | 39 | 17 | 5 | ||
5月 | 14 | 17 | 27 | 22 | |||
6月 | 11 | 8 | 37 | 38 | |||
7月 | 21 | 10 | 21 | ||||
8月 | 24 | 12 | 22 | ||||
9月 | 25 | 19 | 20 | ||||
10月 | 27 | 17 | 21 | ||||
11月 | 25 | 58 | 51 | 44 | |||
12月 | 21 | 55 | 9 | 62 | |||
合計 | 175 | 148 | 110 | 311 | 280 | 302 | 131 |
漫画をカウントするルールに変更して以降、年間300冊前後で安定。毎月の読書量は波が大きい。
2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1月 | 175 | 148 | 13 | 22 | 22 | 13 | 38 |
2月 | 24 | 39 | 62 | 18 | 50 | ||
3月 | 35 | 58 | 98 | 31 | 66 | ||
4月 | 64 | 76 | 137 | 48 | 71 | ||
5月 | 90 | 154 | 75 | 93 | |||
6月 | 101 | 162 | 112 | 131 | |||
7月 | 122 | 172 | 133 | 131 | |||
8月 | 146 | 184 | 155 | 131 | |||
9月 | 171 | 203 | 175 | 131 | |||
10月 | 198 | 220 | 196 | 131 | |||
11月 | 89 | 256 | 271 | 240 | 131 | ||
12月 | 110 | 311 | 280 | 302 | 131 | ||
累計 | 175 | 323 | 433 | 744 | 1024 | 1326 | 1457 |
10月までならダントツの2006年だけど、12月の失速で完敗。
2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1月 | 0 | 0 | 209 | 29 | 18 | 85 | 77 |
2月 | 28 | 9 | 101 | 74 | |||
3月 | 20 | 11 | 105 | 119 | |||
4月 | 31 | 13 | 102 | 119 | |||
5月 | 22 | 34 | 110 | 113 | |||
6月 | 13 | 51 | 121 | 204 | |||
7月 | 20 | 79 | 109 | ||||
8月 | 9 | 74 | 49 | ||||
9月 | 25 | 86 | 74 | ||||
10月 | 27 | 72 | 136 | ||||
11月 | 0 | 101 | 131 | ||||
12月 | 26 | 85 | 164 | ||||
合計 | 0 | 0 | 209 | 250 | 633 | 1287 | 706 |
テレビも映画も音楽も縁遠かった頃が嘘のよう。2005年→2007年の加速はすさまじい。そして先月の204作品……。爆発しとる。
2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1月 | 0 | 0 | 209 | 29 | 18 | 85 | 77 |
2月 | 57 | 27 | 186 | 151 | |||
3月 | 77 | 38 | 291 | 270 | |||
4月 | 108 | 51 | 393 | 389 | |||
5月 | 130 | 85 | 503 | 502 | |||
6月 | 143 | 136 | 624 | 706 | |||
7月 | 163 | 215 | 733 | 706 | |||
8月 | 172 | 289 | 782 | 706 | |||
9月 | 197 | 375 | 856 | 706 | |||
10月 | 224 | 447 | 992 | 706 | |||
11月 | 224 | 548 | 1123 | 706 | |||
12月 | 250 | 633 | 1287 | 706 | |||
累計 | 0 | 0 | 209 | 459 | 1092 | 2379 | 3085 |
暇人すぎる。累積3000作品overて。
1日数回、バックアップ目的で自動的にサーバーへ転送しているファイルです。主要記事はいずれMTに投稿するつもりですが、だんだん面倒くさがりが進行しているので、何も保証しません。
アンテナにもRSSにも対応しない。どうしても読みたいという奇特な方は、苦労して読めばいいと思う。
リンクしにくくて不便だとか思う人は、自分でブログサービスと契約して、ひとつひとつ記事タイトルとか考えて、どんどんコピペ投稿していってください。転載自由なので、いちいち許可を取る必要ありません。でもきっと、面倒くさくって嫌になると思う。私は嫌になりました。
下書きファイルログは、基本的に表示確認してない。あくまでもバックアップが目的だから。
だけど、どうしても私の最近の文章を読みたいという人がいるから、バックアップファイルの置き場を公開することにしたわけ。こんなのでも、読めないよりはいい、という人もいるので。「あなた」がそういう人かどうかなんて、私は知りません。自分で判断してください。
自分の意見を大勢に伝えたい、検索順位の上位に登場させたい、などと考えない場合、ブログツールは面倒くさくてダメですね。
私の場合、ブログの記事単位で思考してないですから。もっと細かい単位で物事を考えている。
MTに投稿しちゃうと、記事の分割とか、順番の入れ替えとか、エピソードの挿入とか、やりにくい。いろいろやっても、熱心な読者以外、一部の人気記事しか読んでくれないしね。一連の話題なのに、ひとつの記事だけ読んで噛み付いてくる人がいたり。面白くない。
ときどき突発的にやる気が出て、そういうときにMTにバリバリ投稿したりするのだけれど、それもいつまで続くかな。