趣味Web 小説 2009-01-30

「人民服がほしい」に気分としては同感だが……

「人民服がほしい」というのは同感。スーツは家事に向かない。家の中のことをスイスイできて、そのまま外にも行けて、そして制服のように個人の選択を必要としない服装があったらいいよね。

スーツがいいのは、仕事で人と会うとき、相手が取引先の社長だろうが、商売敵だろうが、子会社の人だろうが、あるいは場所がランチでも会議室でも応接間でも、何も考えずに「そのまんま」の服装で乗り込んでいけること。

私は1万円台の激安品ばかり着てるけど、取引先で「そんなのを着てくるなんて! 君は我が社を侮辱しているのかね!」と怒られたらどうしよう……なんて不安になることはない。新人の頃は「大丈夫かな?」と思っていたんだけど。

生活着が面倒なのは、TPOを考えなきゃいけないこと。親戚づきあいでも、気の置けない仲間とのレジャーでも、恋人とのデートでも、「とりあえずこれを着ておけば何もいわれない」みたいな服装があったら、人生の悩みがひとつ減る、そんな人は少なくないだろう。

大事な取引先と会うからって、服装に悩む? いや、悩む人もいるだろうけど、とりあえずいつものスーツでいい。だけどデートの服には悩む人がたくさんいる。勘弁してほしいよね。リンク先の記事はさすがに書き方が大袈裟だと思うけど、感じはわかる。

……でも正直なところ、そもそも苦手分野に自尊心なんか持つから不幸になる。「俺は確かにダメな奴だが、それがどうした。ざまあみろ」と開き直るのが一番いい。他人に何を期待しても裏切られる。

補記:

スーツは便利だけど、その文化的代償は大きい。「宗教的理由でスーツを着れない人」を想像してみればわかる。結局、スーツはたしかに便利だけど、人の自由を強力に抑圧する存在でもある。

ファッションの多様性を阻害しない「人民服」は、現実に存在し得るのだろうか。私が想像する限りでは、そのような「人民服」は、せいぜい「どのような場面でも門前払いされない服」にしかなりえず、劣等感とは切り離せそうにない。

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