私の場合。「高等教育は本人が望まない限り受けさせない」が家庭の方針だった。そこである日、別に進学しなくてもいいと思っている、と自分の意向を伝えた。
父はとくに何の意見もいわなかった。「えっ!? ホント? ふーん」それ以上、とくに言葉が出ない。
母は、賛成しない理由を多々述べ、何より隆夫は虚弱体質なので、進学した方が人生のリスクは明らかに少ない、といった。その上で、「義務教育ではないので、本人が進学したくないなら、それでもいい。ただ、中学を出たら働くことができるはず。家で寝てるだけなら生活の面倒は見ない」と。
純粋に個人的な都合でいえば、別に進学したくはなかったが、就職したい理由もとくになかった。一生遊んで暮らせたらいいのにな、と思っていた。
ここで周囲の都合を考えてみると、私立中学に通い、成績は学年トップクラス、系列高校へ進学すれば学費免除の確約、周囲の期待は大きかった。両親は10分程度説得しただけで、あっさり私に判断を委ねたが、学校の方は、そう簡単ではない。大勢の「ガッカリ」をものともせず進むには、大きなエネルギーが必要だった。
しばらく宙ぶらりんの状態を続けたけれども、結局、私の「面倒くさがり」が勝った。「進学したいので、もうしばらく生活と学費の支援をお願いします」と両親にお願いし、高校へ進学した。結果的にとても楽しい3年間になったので、ただ状況に流されただけとはいえ、よい選択だったように思う。
3年後、さらに大学まで進学した。それなりに面白かったけど、別に進学しなくてもよかったな、というのが正直な感想。入学初日から半分後悔してたし。それで大学院の試験は免除され、先生方には進学を勧められたけれども、就職を選択した。
家庭の方では、20歳になったのを機に、いろいろぶっちゃけることにして地均しを進めていた。入学当初は「工学部なら院まで行くんでしょ?」といっていた母も、就職活動の頃には全くそういった発言をしなくなっていた。
私の父がすごいのは、何もいわないことだと思う。
私の母がすごいのは、今の問題については意見するが、過去の問題は決して蒸し返さないことだと思う。
これまでいろいろなお母さんを見てきたが、子どもに追い詰められるたび過去の悪事を掘り返し、優位に立とうとする人が多過ぎる。日本の子どもが自分に自信を持てないのは当たり前だ。子どもがちょっと自信をつけて言葉を発した途端、親に「お前のような人間の屑に発言権はない」と抑圧されるのだから。
気分のいいときだけ口先で「愛している」なんていったところで、誰が信じるだろう。