趣味Web 小説 2009-02-10

千葉県在住50代主婦が語る「昨今の世界金融不況と景気対策」

0.

正月に実家へ帰ったとき、母がいっていたこと。

1.

景気対策で公共事業、っておかしくない? だって、たしかに小中学校の耐震工事はした方がいいだろうけど、それは景気と関係なくやればいいんじゃない? 素晴らしい製品を作ってるキヤノンの工場が止まってしまう、そういう状況に対して、学校の耐震工事は、あまりにも遠回りな需要刺激策だと思う。

不況下でも元気な日本企業特集とかテレビでやってるけど、なるほど、そうした企業がたいへんな努力をして利益を確保しているのは立派だけれども、それを紹介して「知恵を絞って工夫を重ねれば不況も怖くありませんね」みたいなニュアンスを漂わせるのは、やっぱり違うと思う。

自動車も、デジタル家電も、お金に余裕があれば「ほしい」人が多いのに、不景気で先行きに不安があるから、買えない。それで工場の操業が止まり、失業者が増えているんじゃないかな。

そうした状況だから、総需要を増やす金融政策は、とっても有意義なはず。

時代の変化についていけなくて、魅力のない商品しか作れない企業が淘汰されていくのは仕方ない。けれども、本当はみんながほしいものを作れる企業が痛めつけられているのを放置していていいのかな。

自動車やデジタル家電を製造する技能を持った人たちが、介護などのサービス産業へ移動するのは、失業よりはいいけど、手放しで喜べることではないと思う。それは可能な限り短期間で解消すべき不況という状況に対して、人材の配置を最適化してしまうってことを意味してるから。

もちろん、じつは本当に自動車の需要が落ちているのかもしれないよ。デジカメも落ち目なのかもしれないね。だから、自動車の税金を下げるというような、直接的な産業支援はすべきじゃない。

それでも、今の不況は、みんなのほしいものが作れなくなったので物が売れなくなったという感じではない、つまり供給ではなく需要に原因がある、という認識をきちんと持つことが大切だと思う。

2.

「意図的に緩やかなインフレを実現する」っていうと、なんかすごくワーッて批判が出てくるんだけど、とても基本的なところで誤解されているような気がするよ。

緩やかなインフレは、経済がうまく回っていくための条件なんだよね。専門家じゃないから、ちょっと具体的な数字は出せないけど、2%から3%くらいの物価上昇率だと、いちばん、経済が発展するんだよね。80年代の欧米みたいに7%とかの物価上昇率になると生活が安定しないし、日本みたいに0%やマイナスなのは最悪。

デフレだと経済がうまくいかないのは、銀行も従業員に給料を払ったりしないといけないから、貸出金利が0とかマイナスにはできなくて、でも物価が下がっていくから、実質の金利が高くなってしまう。だから設備投資をしたり、家を買ったり、しにくくなっちゃう。

それに、お金を使わずに持っていると買えるものが増えたり、もっといいものが買えたりするようになるんだから、みんな消費をしなくなっていく。みんなが買い物をしなかったら、みんなの収入が減っていく。ますますお金が貴重になって、買い物を減らしてしまう。

もちろん、そんなの関係なく買い物をする人もいると思う。でも、買い物するのをやめておこう、と思う人が増えてるんだから、全体として経済の発展は低め低めになってしまうよね。

あと、多分それだけじゃなくて、人はやっぱり、昨日よりいい物を作ったなら、昨日より高く買ってほしいものじゃないかと思うのね。昨日より素晴らしいものを、同じ値段とか、あるいはもっと安い値段で売らなきゃ誰も買ってくれないというのは、とっても悲しいことだと思う。

「デフレで物の値段が下がって、1円の価値が上がっているから、昨日と同じ値段で売れたということは、実質的にはプラスの評価ということなんだよ」なんていわれても、実感が持てないんじゃないかな。頭では理屈をわかっても、生きる気力がなくなっていくような気がするな。

そんなわけで、デフレだと、経済が発展しにくいんじゃないかと思う。

経済が発展しないということは、毎日みんな頑張っているのに、少しも生活が楽にならないということだから、だんだんみんなの顔が曇ってしまうよね。デフレはみんなの努力を吸収するブラックホールみたいなものだから、早く終らせないといけない。

インフレは資産課税だとかいわれるけれど、経済が発展すれば資産は増えていくんだから、心配いらないんじゃないかな。3%のインフレといったら、たしかに資産の目減りが気になるだろうけど、いずれ金利が追いついてくることを忘れちゃいけない。とくに運用しなくても、そんなに減る一方じゃないということ。

物価が少しも上がらないことを望むのって、目先のお金を守ろうとして、だんだん追い詰められていくような、そういう袋小路への道という感じがするね。

3.

年金ていうのは、親孝行みたいなものだと思う。家族や子どものいない人も、たくさん社会貢献をしてきたのね。みんなで、子どもが健やかに育つように教育や医療の制度が整った社会を作ってきたんだよね。

身体にガタがきて、もう働けないよ、っていう人を、見捨てるような社会は、冷たい。生活保護があるじゃないか、なんて極論でしょう。財産とか、全部なくすまで生活保護はもらえないじゃない。つらいよね。

ただ、これから老人の割合が増えていくし、若い子たちに重荷を背負わせるわけにもいかないからね。

老人がいまくらいの生活水準で満足して、若い人たちが経済発展していくのがいいと思う。

もし若い人の今の倍くらいになったら、年金も倍になったとしても、今より生活はよくなるでしょ。だから、えーと、物価が変わらない仮定で20年くらいかけて月給が倍になるには……。

*母に代わって私が計算してみると、年率3.5%の給料増で20年後の月給は倍になる。詳細は以下。

2X=X(1+a/100)^20
log2X=logX+20log(1+a/100)
log2X-logX=log(2X/X)=log2≒0.30≒20log(1+a/100)
0.015≒log(1+a/100)
10^0.015≒1.035≒1+a/100
a≒3.5[%]

うん、そうそう、以前見た数字もそれくらいだったっけ。この場合、だんだん、現役のときと引退してからの収入の差が大きい社会になっていくんだけど、それは我慢しなきゃいけない。

でも、子どもが巣立ったのにたくさん部屋のある家に暮らす、みたいな無駄がなくなっていくのかもしれないよ。引退夫婦は徒歩で生活できる都会の狭いアパートへ引っ越すのが常識になったりしてね。都会で結婚生活を始めて、郊外で子育てをして、都会で余生を過ごす、みたいなライフサイクル。悪くないと思うけどね。

持ち家のある人だったら、郊外の家は若い家族に貸すとかね。年金と家賃を合計すれば、それなりの生活ができるんじゃない?

4.

景気対策で所得税の定率減税、累進緩和、法人税減税が行われたけど、定率減税だけ景気が回復したということで、終ったよね。

累進緩和がそのままなのは、多分、お金持ちの人は少ないから、累進強化してもそれほど税収が増えなくて、だったら能力のある人のやる気を邪魔しないようにした方がいいんじゃないか、ということだと思う。定率減税はみんなにかかわりのあることだから、財政への影響が大きかったんじゃないかな。

法人税減税もそのままになっているのは、多分、定率減税をやめても消費は減りそうにないけれども、法人税が上がったら企業はさっさと海外に逃げていきそうだから、ということだと思う。ただ、本当にそうなるのかどうかは、よくわからない。

5.

母は金融緩和派で、前世紀から「日銀は国債買切り額を増やすべき」と話していた。ただ、家族が「ピンとこない」という顔をしているので、基本的には黙っていた。しかしここ数年、私が経済に興味を持ち、明確に反デフレの立場を取るようになったので、ときどきこうした話をするように。

母は「ふつう」ではない。年収300~500万円の家計をうまく遣り繰りして安定した生活基盤を確保しているため、日常生活にとくに不満を持っていない。私の弟が大学院進学+下宿しても(体感的な)生活水準を少しも変えないという驚異の調整力を有しており、一時の食料品やガソリンの価格高騰にも全く動じなかった。

そんな母にとって、個別の家庭における「生活が苦しい」といった話題は、「経済問題」ではなく「個人の生き方の問題」となる。多くの庶民が「経済」を見る視点は、新聞の「社会面」に近いものだと思うが、母の場合は「経済面」的な捉え方をしているといえそうだ。

端的には、「野菜の値段が上がった!」「給料が激減!」「許せない!」といった個々人の感覚には距離を置き、消費者物価指数や企業物価指数の推移や単位労働コスト、実質GDPの増減などから経済を見ている。父の給料が増えても減っても、それは個人の事情であり、それをもって景気を判断することはしてこなかった。

結婚後、「お金に不自由していない」といって賃金労働とは完全に距離を置いてきた母。近所のお母さん仲間とは価値観や考え方が違いすぎて、持論を話す相手がいなかった。近所では「無口な人」で通っている母。父は、難しい話を聞くと、すぐ眠ってしまう。60年近くに及ぶ母の孤独を思う。

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