こういう記事が話題になるというのが、よくわからない。実際にやってみればすぐにわかることだ。
記事のポイントは「サブアリューロン層」という、糊粉層とデンプン層の境界部分。無洗米はデンプン層しか残さないから、「うまみ」がないのだという。だから「サブアリューロン層」をギリギリ残すように精米した白米が一番いい、と主張する。
「サブアリューロン層」という言葉は多くの人が使っているのだけれども、米の断面を見ても、そういう「層」があるわけではない。実質的には、薄い糊粉層の中でもデンプン層寄りの部分を指すようだ。
結局のところ、記事を要約すれば、糊粉層を少し残すということだ。少しなら、むしろあったほうが美味しいんだ、という話なのである。
「サブアリューロン層」は精米業者の宣伝文句によく出てくる。ここで注意すべきは、精米の仕組みを実際に見てみればわかるように、とてもではないが、米の一粒一粒について、糊粉層の厚みをきちんと制御できるようなものではないこと。
糊粉層を「薄く」残す、というその実態は、「いくらかの米粒は糊粉層を失い、何割かの米粒は糊粉層が少し残り、一部の米粒は糊粉層がたくさん残っている」。
まあ、無洗米がおいしいかまずいかは、自分で食べて確かめてみればいいと思う。他人の味覚は関係ない。食べるのは自分(と家族)だけなのだ。
精米技術の進歩を活かして「サブアリューロン層」を宣伝文句に掲げる業者は、「サブアリューロン層」こそ米の「うまみ」を司る部分だというのだけれど、図書館へ行って古い本を引っ張り出してみれば、ふつうはデンプン層の味が重要だと書いてある。
繰り返すが、このあたりは、自分の味覚で判断してほしい。
個人的には、精米された米は劣化が進むので、おいしいごはんを食べたいなら、5kg入りのを買わず、1~2週毎に2kg入りのを買うことを勧めたい。
もっとも、実際に試してみて自分には味の差がわからないことが判明したなら、5kg入りのを買って1ヶ月くらいかけて食べたっていいだろう。
じつは無洗米が登場した頃、「無洗米はアリューロン層を残しているから美味しい」と宣伝されていた事実がある。「研がなくてよい白米」と「削りすぎていない無洗米」は、区別のつけようがない。
私が高校生になる頃まで、実家のごはんは胚芽米だった。米を研ぐと胚芽が流れてしまうといって、母は米を「研ぐ」ことを禁じていた。私立の小中学校へ通ったため昼食もお弁当だった私は、ごはんというのはこういうものだと思っていたのだが、給食で白飯を知った弟の長年の抗議によって、胚芽米から白米へ移行した。
それまで、旅館のごはんは、プロが炊くから美味いのだと思っていた(注:旅行以外で外食はしない家庭だった)が、家庭の安物の炊飯器でもこんな美味しいごはんが作れるのか、と私は衝撃を受けた。なるほど、みんな白米ばっかり食べるわけである。
私はカレーを作る際、具材を「炒める」ステップを省略している。その手間をかけるに足る味の差が、自分にはわからないことを確かめたからだ。なるほどタマネギの食感(だけ)は違うが、炒めた方が美味しいとも思えない。手間と油のことを考えると、省略した方がよいと判断している。