趣味Web 小説 2009-03-23

「一貫性」との付き合い方

「お前、なに一貫性の無いことを言ってるんだ」

「あんた、さっき、一貫性にとらわれすぎてはいけないと言ったばかりじゃん」

とらわれすぎてはいけないだけなので、一貫性を全く無視していいわけではない、という話か。すると問題は線引きの判断に集約される。お互いに相手が一貫していない箇所を指摘・釈明しあう過程で、当初はぼんやりとしていた線引きの判断が、徐々に明確になっていく。

あるいは、別に一貫性そのものを重視しているのではないのかも。AとBについて個別の事情を重視した判断をするのは構わないが、それが無意識に行われているのはマズイ、とか。本人は自分を一貫した人間であると認識していて、他人にばかり無理をいう、みたいなケース。このとき、牽制の意図を持って状況認識の共有を図るため、「あなたの主張だって一貫性を欠く」と指摘するのは有効。

ちなみに私が「一貫していない」というのは、また違った理路によることが多い。私自身はあまり一貫性に重きを置かないが、世間の人々はあまりそうではないようなので、ひとつの道具として「そう仰るなら、行動を一貫させたらどうですか」といった言葉を使う。

著作権関連の話題が典型。私は「みんなで著作権を放棄して自由に使える文章や写真でウェブをいっぱいにしようよ」と主張しているが、聞く耳を持ってくれる人がいない。そこで「どうしてみなさんは無断転載+出典不記載の壁紙画像スレのまとめ記事なんかを歓迎・賞賛しているんですか?」と書く。

自由に他人の著作物を利用したいなら、まず自分が、自分の著作物を解放してほしい。いま画像スレまとめ記事に喜んでいる人が、自分の撮影した写真や自分の描いた絵をパブリックドメインでガンガン放出したら、ある種の画像は著作権侵害の必要がなくなるだろう。自由なウェブはそのようにして作られるべき。

著作権を主張している人の作品を勝手に使う、そこに後ろめたさも何もない、みたいな人はおかしい。泣いて、怒って、そして絶望して諦めている著作者の気持ちを無視する非情さは何なのだろう。……まあ、これは私の価値観に基づく意見であって、賛同されるかどうかは相手次第。

で、さんざんこういう書き方でやってきて、「あまり効率がよくないな」とは思ってる。全然、注目されないよりはマシなんだろうけど。

補足:

Information

注意書き