ん? と思ったけど、自分なりに納得できた話。
シンプルに読むと、shi3zさんの記事は、森さんの記事に対する意見としてはズレていると思う。森さんはライセンス違反を問題にしていて、アートワークだけを改変したアプリが販売されることを問題視しているわけではないのに、shi3zさんは「ライセンスの設定は慎重に」という話をされているのだから。
でも、はてなブックマークの反応などを見ると、森さんの記事は、ソースコードをそのままコンパイルして、名前とアートワークとクレジットだけを変えて、ほか機能いじらずに売られてしまっているようです。
といった記述に「無念」のニュアンスを感じ取った読者の「コピーで金儲けは許せない」という感情を刺激している様子。
でも続きの記事を読むに、ライセンス違反云々は、コピーで金儲けするムカつく相手を攻撃するための手段ではなくて、ライセンス違反自体が森さんにとって最大の関心事であり、むしろコピーで金儲けするのはご自由にどうぞという感じなんだよね。だから読者は肩透かしを食った感じになっている。
一方、shi3zさんの記事は、「どんなによく練られたライセンスでも、無視されてしまえば意味がない。自分の努力の結晶を利用して金儲けされるのが嫌なら、オープンソースにすること自体が間違いだ」という風に読まれているように見える。
実際のshi3zさんの文章には、ライセンス違反を許容する言葉はない。が、shi3zさんの記事が裏読みされるのは自然なことかもしれない。「ライセンス違反さえなければよかったのに」という記事に対してオープンソースにしたこと自体を問題視するなら、そこに「オープンソースのアプリはライセンス違反を防げない」という前提があると推察することに不思議はないだろう。
では本当のところはどうなのか。まあこれも私の解釈に過ぎないが、森さんの記事へのshi3zさんの応答ははてブのコメントでなされており、ブログ記事は、シンプルにshi3zさんの持論を書いただけ。そこでは、森さんの記事の本題はもともと関心外なのだろう。
もう少し噛み砕いて説明すると、現に森さんの記事は「コピーで金儲けとは許せん!」と読まれている状況がある。森さんの真意とは関係なく、森さんの文章を引用すると、shi3zさんのブログの読者の過半も、そのように読むことが予想できる。で、shi3zさんのブログ記事は森さん宛の私信ではないので、一般人の誤解の方を採用してネタふりに使い、持論を書く切っ掛けにしているのだ、と私は納得した。
抽象的に関連する話題。私と某氏が全く同じ指摘をしても、私に不信感を持っているので私の意見については「意味不明。粘着しないでほしい」といい、某氏の意見には「参考にさせていただきます」と反応している人(名前を出されると迷惑だというから仮にAさんとする)がいて、少し気になっている。
いまBという問題についてガンガン書いている人が、本当にBに関心があるのか、それとも、それはCという別次元の目的を実現するための手段に過ぎないのか、というのは、率直にいってわからない。でも、きっとこうだろう、きっとそうだろう、みたいなことは、みんな考える。人が集まれば、本当にあるのかどうかもわからないCという目的を見出すのが「常識的な読み」として成立してしまったりもする。
Aさんが一目置くDさんが私の指摘を「興味深い」と書いてくれているのだから、私の指摘も素直に字面を追えば意味不明ではないはずだ。が、Aさんは私に不信感を持っているので、何かしら裏読みをする。で、こんなヤツの相手をしても時間の無駄だと思って「意味不明」と切り捨てるのだろう。残念だが、仕方ない。
個人的には、記事そのものと筆者を分離して、文章自体について相手をする文化がもう少し広まったらいいのにな、と思う。
ただ、私にとっていちばん書きやすい、誰かの文章に意見する過程で次第に自説を浮き彫りにしていく私信風のスタイルは、この持論と衝突しやすい。「相手の真意は関係ない、文章自体を相手にしているんだから、相手が後から書き足した内容なんかどうでもいい」などといっても、読者は釈然としないだろう。
えっと、いま私はかなり面倒くさいことを書こうとしているので、注意して読んでください。
shi3zさんの記事のはてブに、森さんの真意はライセンス違反への批判そのものなので、shi3zさんの反応は間違ってる、みたいなコメントが散見される。私もそう思うには思ったけれども、多分、そういう風に読まれていたら、森さんの記事はあんなに人気を集めていないんじゃないか。
森さん宛の私信みたいなスタイルで書いていて、森さんの真意は関係ない、で通用するか……その反論もわかる。でも、実際には私信じゃなくてブログの記事でしょう。不特定多数に向けて自分の意見を書く、という大前提があると思うんだよね。
その後の記事から、shi3zさんが引用した部分に色濃く現れている「ムカつき感」は、じつはライセンス違反への不信感のなせる業で、ライセンス違反さえなければ森さんがいちいち記事にするほど気になることではなかったことがわかる(と私は思う)けれども、やっぱり最初の記事でそう読めたかというと疑問がある。
たしかに形式的にはライセンス違反に関する文章が長い。が、これまでの経験から、濡れ手で粟の金儲けへの嫌悪感がトラブルの真のテーマではないか、という連想が働く。森さんの文章はそういう文章だった。
そこで、この旬な文章を引用して、shi3zさんがこのような記事を書こうとしたことは、私は擁護したい。