スポーツ倫理の不自由:故意の敗北はダメ?
故意に負けてはいけない、というスポーツ倫理が、どうしてあるのだろう。人間だもの、負けたい時だって、あるはずだ。負ける自由がないのがスポーツなら、スポーツって不自由なものなんだな。
まあ、それがいけないというわけじゃない。何の意味があるのかよくわからない理想を追いかけるのもまた「人間らしい」感じがする。ただ、自分はあんまり、スポーツには関わりたくないな。
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注意書き
- 筆者は徳保隆夫(とくほたかお)です。1980年愛知県生まれ。千葉県成田市育ち。メーカーに技術者として就職後、関東各地を転々としています。……という設定です。
- 私の文章は全て実記ではなく小説なので、客観的事実と異なる記述を多々含みます。
- 著作権は主張しません。詳細はInfoで、過去ログなどはNoteでご案内します。