趣味Web 小説 2009-05-08

子どもに自信を与える方法:追補

いまさらだけど。

大勢に読まれたこの記事ですが、はてブのコメントや、いろいろ言及された記事などを読むに、私の気持ちというか、ベースにある考え方はあまり伝わっていないような印象を受けます。それでもこれまでとくに何も書いてこなかったのは、それらは「誤読」ではなく、記事に書いたこと自体は伝わっているようだからです。

でも少し気にはなるので、ふと思い立って、補足を書くことにしました。

過去、何度も書いてきたことですが、私は、全ての子どもがテストで100点満点を取れるようになるとは考えていません。そのようなことは不可能です。世界の不公平に絶望しつつも、子どもたちはこれから60年、70年も生きていかねばならない。私は、「褒めて子どもの才能を伸ばす」なんて主張をしたいのではありません。(件の記事はそのようにも読めるし、そう読んでもかまわない。ただ、私の気持ちは違っているということ)

かつて、「自分なんか生きている価値ない」と寂しそうな顔でつぶやく補習塾の生徒たちに、私は頭を抱えました。「あたしなんてバカだし、勉強とか嫌いだし、怠け者で努力が続かないし、朝、早起きして会社に行くことだってできないかも。あと人見知りだから、知らない人と会うのも怖い」……なるほど、と私は思う。

多くの同僚は、「苦手なものは克服すればいい」という考えで、「頑張ろうね」と語りかけていました。子どもたちは、黙って聞いているのです。私は不意にブチ切れました。ふざけんなよ、他人事だと思って絵空事を押し付けやがって! 小心者なので口には出しませんでしたが、「先生、顔が怖いよ」と指摘されました。

何か基準を満たしたから、愛される価値があり、生きていていい……そんなのは許せない。

子どもはウソをつく。サボる。だらしがない。いじ汚い。清潔を尊ばない。それでも無条件で愛されなければならない。もちろん万人が万人を愛することは不可能で、「誰か」が愛せばよい、とします。

いちばんその「誰か」になりうる可能性が高いのは親なので、件の記事では、親が子の価値を認める言動を増やす方法について、書きました。別に「誰か」は親でなくてもよいのだから、往時の私は立場を超えない範囲で生徒を広く認めようと努力しました。これは第3項に少し書いています。

「安直な肯定は子どもの成長を阻害しかねない」という意見、心配はごもっともだと思う。でも、世間の人々の大半は冷たい。「あなた」一人が子どもを広く肯定したくらいですっかり安心しきって成長を止めてしまう子どもなんているだろうか。私は「杞憂ですよ」といいたい。

補記:

言葉足らずをもう少し補います。ここで私は、よい行いを「程度の不足」によって否定することに異を唱えていますが、わるい行いまで闇雲に許容せよとは主張していません。

例えば、子どもが塾の授業に参加する際、筆記用具を忘れることは珍しくありません。このとき、子どもを叱りつけても効果は薄いのがふつうです。筆記用具を持ってくる意思を推定できるなら、「次回は必ず筆記用具を持っていらっしゃい」といって、鉛筆を貸せばよいのです。失敗は咎めません。

授業中、暇を見つけては、以前、別の生徒に貸した鉛筆をていねいにナイフで削ります。いま鉛筆を借りている生徒は、それを見て、何かを感じます。

授業が終り、鉛筆を返却される際、講師は「次回は必ず筆記用具を持っていらっしゃい」と繰り返します。1年くらいこうしたことを続けると、多くの子どもは、だんだん筆記用具を忘れなくなっていきます。

たまに、ちっとも効果が出ないという先生がいます。深刻な家庭の事情や、何らかの脳障害の可能性もあるのですが、私が見たケースでは、教師に問題がありました。その先生は、「来週も忘れたら、また貸してあげますよ」といっていたのです。これではいけません。「余計な一言」は人のやる気を奪ってしまいます。

余談:

補習塾にはいろいろな子がいました。授業中、手洗いに行くといってコンビニまで行ってしまう生徒、近隣の塾に通う友人を訪ねて遊びに行ってしまう生徒、テストの結果に落ち込んで教室を飛び出し近所のビルの非常階段でうずくまっている生徒……。

個別指導塾とはいえ教師1人で2人まで面倒を見るのだから、消えた生徒の後をすぐには追いかけられない。残った子の授業をうまく組み立て、5~10分くらいの時間を確保してから、探しに行く。自習室の生徒から情報を集め、いくつものビルの階段を登ったり降りたり。生徒が見つかると、ホッとして笑みがこぼれます。

「教室へ戻らない?」「嫌だ」「そうか。残念」時間切れ。「風邪ひかないように。教室に置きっ放しになっていた上着を持ってきたから、これ羽織って」そうして一人、教室へ戻る。

「お、きちんと練習問題を進めているね。さすがだな」嬉しい。声が弾みます。そのうち、飛び出した生徒が戻ってきたり。「よく戻ってきたね、偉いね」「ほら、先生、肉まん」「ありがとう」泣きそうになりました。「でも、授業スペースは飲食禁止だから」「温かい内に食べてよ」「ごめんね」授業後に代金を払い、冷めた肉まんを頬張る。生徒からの贈り物の受領はルール違反なのです。

だいたい3ヶ月くらい経つと、私の生徒たちは授業から脱走しなくなりました。逆にいえば、それくらいの時間はかかるということです。個別指導でこんな具合ですから、教室の運営がいかにたいへんか。学校の先生はバカにできません。

生徒がいろいろなら講師もいろいろ。逃げようとする生徒の腕を捕まえたり、生徒が本当に手洗いへ行くか入口までついていって出てくるまで待っていたり、授業が終ってからカバンを取りに戻ってきた生徒にお説教したり、ご家庭に相談の電話を入れたり。ひとつ共通していたのが、「とんでもない生徒のせいで俺はこんなに苦労している!」という愚痴。「うちの生徒はみんないい子ですよ」と私は一人浮いていました。

どんなやり方でも多少の効果はあって、生徒は次第に落ち着きます。それでも、私の担当した生徒から、室長判断で「塾に通える状態ではない」とお引取り願う生徒が一人も出なかったのは、8割方は幸運のなせる業でしょうが、私が小さな確信を抱くには十分な体験でした。

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