昨日は福島さんの本「産まない選択―子どもを持たない楽しさ」を好意的に紹介したが、同書に収録された手記には、保守派の格好の攻撃の種になりそうな文章が少なくない。素人が本音を正直に書いた、仲間内で励ましあう本なので、これはこれでいいのだが、ともかく論争の場へ持ち込むには適さない。
私のAmazonレビューに、題名に脊髄反射している他のレビューの書き手への侮蔑を隠さないコメントが投稿されていた。その方は、本を読んでいないことが明らかなレビューについて、Amazonに通報して削除を依頼したそうだ。なぜいちいちそんなことを公言するのだろう。けんか腰になれば双方が傷つくことになるのに。
福島さんは、たとえアニメ作品だって児童ポルノなんか嫌だと思っているだろう。それでも、表現の自由を優先して、嫌な表現とも共存していこうという意思を示された。そういう福島さんのファンが、なぜ多様な価値観との共存を、まず最初に考えないのか。
私は憲法第9条を改訂して自衛隊の合憲性を小学生でも納得できる形にすべきだと思っている。死刑制度維持は消極的賛成。原発推進派で、高速増殖炉の研究を促進すべきと考えている。遺伝子組み換え農作物への非科学的な忌避論に辟易している。規制強化にばかり熱心な社民党の経済政策には賛成できない。
福島さんと私とでは、政治信条は大きく異なる。しかしそうであればこそ、2chやAmazonのレビュー欄で繰り広げられている無体な攻撃には怒りを覚えた。こんな攻撃で福島さんを嘲笑する仲間を増やして、いったい何の意味があるのか。相手の意見が間違っていると思うなら、まともに戦うべきだ。
本当にfinalventさんが蒔いた種だとは私には思えないが、仮にそれを認めても、buyobuyoさんの要求は人に可能な範囲を超えている。無理を強いても、どうにもならない。それに、勘違いを招いた人を責めたところで、誤解はあまり減らないだろう。
結局、面倒でも自分が何か有効なアクションをとるしかないのだと思う。