趣味Web 小説 2009-10-30

「友人はいません」……私の場合

言葉の定義の問題なんだけど、私も0人と答えるかな。多少のお金を貸せる(返ってこなくても諦めがつく)知人は何人もいるけれど、ふだんから彼らと交流があるかといわれれば、全くないに等しい。冠婚葬祭に呼ぶことも呼ばれることもない。

幼い頃から交流のあるいとこの結婚式すら、2回も招待を断った。直近の1回だけは何となく参加したんだけど。そういえば、いとこに子どもが生まれたときも、そのときは何のお祝いもしていない。が、万が一の時には私がその子を守り育てるよ、という話は、その後でしていたりする。そういう信頼関係はある。

ふだん私が世間話をする相手というと、会社の同僚と仕事で会う人だけ。それも毎日ではない。ときどき。さすがに出勤すれば、仕事上の会話はある。研究部門にいたときは、本当に72時間くらい一言も発しないまま生活していた(後で気付いてビックリした)こともあるけれど、今は職場を移ったので、さすがに……。

たった30件しか辿れない電話の履歴に、2008年9月22日の記録が残っている。私という人間をパターンに当てはめるのにちょうどいい情報だろうと思い、私的な場で自己紹介を求められると、このエピソードを示すことが多い。

怖い目に遭えば「心細い」思いをするが、一人でいて「寂しい」とは思わない。ひょっとすると、私と他の人とでは「寂しい」という言葉の定義が違うのかもしれないが。

知人らの「家に帰ったら家族が待っているって、いいもんだよ」といった話は、黙って聞いている。でも私は、家に誰かいるのが嫌で、わざわざ家を出た。その気持ちは全く変わっていない。電話嫌いも同じだ。そもそも会話というか、人とのコミュニケーションがあまり好きじゃない。

以前、そういえばあの「友人」と10年くらい話をしていないな、と思って、何人かと連絡を取り合って、それぞれ差しで食事をした。さすがにお互い積もる話があって、3時間くらいあっという間だったが、それからまた何年も交流が途絶えている。向こうは「また来月あたり、どう?」なんて連絡をくれたんだが……。

アンケートで友人の人数を問われたら0人と答えるのは、世間の常識を基準とすれば、結婚式に呼ばれないのは友人じゃないだろ、直近の10年間に1回しか会っていない、電話もしない、そんなの友人じゃないだろ、ということになるから。

もちろん私自身は、そうは思っていない。いざとなれば、自分にできることは何でもしたい、と思える人が友人じゃなかったら何なんだ。でも、こうしてネットでつぶやいている分には、理解してくれる人もいるけれど、世間に私の考えを認めてほしいとは思わない。いや、本当は認めてほしいけど、無理だから。

まあ、別に困ってないしね……。黙っていれば、余計な衝突もしないで済む。「友達がいないなんて寂しくなぁい?」「はぁ、よくわかりません」「つまんないヤツだなぁ」「はぁ、どうもすみません」……。こういう人たちに説明したって、徒労なんだもの。

職場の同僚は、他人の生き方に口出ししないでくれるのがありがたい。恵まれた環境だと思う。会社から一歩出ると、いやホント、世間てのは恐ろしいな、って思うことが多い。今の勤務先がなくなっちゃったり、あるいはクビになったりしたら、人生つらいな。

補記

学校や会社でだけ顔を合わすという人間関係のあり方は、私にとってちょうどいい距離感なので、まず人を嫌いにならずに済む。私の「友人」は、基本的に学校(に類する場)で出会い、その敷地の外で会うことの滅多になかった人が大半。例外は高校の文藝部の仲間。彼らとは学校外でも交流を重ねた。

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