趣味Web 小説 2009-11-06

「けまらしい」と「メシマズ」

「けまらしい」と云ふのは、本當に最近の「造語」で。

けまらしさについて - こせきの日記

ここで創作された言葉を皆が面白がつて使ひ始めたのだと、さう云ふ事らしい。

別に「たとえば」と云ふ事で言葉を作つて見るのは構はないが、それを大勢の人が面白がつて使ふ――その大勢の日本人の考へ方が解らない。なぜ「面白い」と云ふだけの理由で言葉を使ふのか。「面白いのはいい事だ」と云ふ變な思想が日本人の間には昔から「ある」らしいのだが、その爲に變な言葉を公共の場で不特定多數に向かつて言ふのは、何なのだらう。

個人的には「けまらしい」はそう悪い言葉じゃないと思う。従来の語彙ではうまく表現できなかった感情を指し示す言葉だから、屋上屋を架しているものではない。伝統的な言葉を意味もなく殺し、文化の断絶を招くといった弊害がないでしょう。

「けまらしい」なんてふつうの辞書にない言葉だから、わかっている人しかわからない、それではコミュニケーションの道具として問題がある……かもしれない。でも、こういう意味の限定されている言葉は、「パソコン」のような新規なものの名称と同類と考えれば、とくに問題視しなくていいと思う。

「けまらしい」という言葉で表現されるような感情は、かつてあまり問題視されなかった。たまにしか話題にならないなら、「他人の幸福で飯がまずくなるもやもやした気持ち」とか、誤解を恐れず「嫉妬心」と書いてもいい。だけど、ある種のコミュニティにおいて、繰り返し言及されるものなら、新語の方が都合がいい。

こうしてみると、「パソコン」と書いても「パソコン」なんて辞書にないし……でも「パソコン」について年に5回も10回も言及することがあるなら、いちいち言葉を定義して使うのはかったるいよな、という話とどう違うのか、と思うわけ。

私は「けまらしい」という言葉が、「面白い」という理由で使われているとは認識していません。従来は「嫉妬」という言葉で包摂されていた感情の一部を切り分けて、そのニュアンスの違いに注意して表現したいという需要が現に大きいからこそ、必然的に登場した言葉だと思う。

実際、もっと利用者の多い「メシマズ(他人の幸福で飯がまずい)」という表現があって、この1年余りで急速に普及しましたよね。今、こういう感情が注目されているんだと思います。

あるいは「嫉妬」という言葉に色がつきすぎて、辞書的な広範な意味合いが伝わりにくくなったせいかもしれない。圧倒的に多く使われる特定の語義に引っ張られて実質的に言葉の用途が狭まると、行き場をなくした語義は新たな言葉を求めます。

「けまらしい」も「メシマズ」も辞書的には「嫉妬」でいいんだけど、いまそれを「嫉妬」と書くと、「それほど羨ましいってわけじゃなくて、他人の幸福そのものがムカつきの根源にあるわけだが」というニュアンスが伝わらない。ゆえに「嫉妬してないでお前も幸せになれ」みたいな反応になってしまう。

狭義の「嫉妬」から「羨ましい」を(かなりの割合で)差っ引くと「メシマズ」になる。

とはいえ、「けまらしい」という5文字の選択には根拠が全くないので、造語にしたってこういう、突然ポンと出てくるのはいかがなものか、とは思う。下品でも「メシマズ」の方が、その点ではマシかもしれない。

*「けまらしい」は他人の幸福の中でもとくに人と人とのコミュニケーションに起因する幸福に対する感情をいうそうで、相当に意味の狭い言葉。「メシマズ」はもっと幅広い意味で使われている様子。

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