最近、更新を再開されたbewaadさんのブログから。コメント欄もはてブも荒れてますね。
この話題は、端から結論を動かす気のない人がワンサカやってくるので、無制限に書き込めるコメント欄のあるブログには馴染まないと思っています。まともな議論が、まず成り立たない。相手の意見をまず受け止めて、好意的に論旨を補いながら読んでほしいところですが……。
この記事でbewaadさんは、「著作権を永続させるべき」とは主張していません。「著作権は本来、永続するもの」を大前提としつつ、「著作権の永続には問題があり、利害調整の仕組みが必要だ」という小前提を置いて、「利害関係者みなの意見を取り入れて建設的な議論をしましょう」と書かれていると、私は思います。
現に死蔵されていない、ちゃんとお金を生み出しているコンテンツを権利者から奪い去ろうとするから軋轢を生む。
50年、70年といった年限で区切る方法はよくない。死蔵されているコンテンツはさっさとパブリックドメイン(=公有)とし、逆に利益を生み続けているコンテンツは権利が守られ続けていいのではないか。
bewaadさんは3年前に著作権保護期間延長問題の解決案を示しています。集団の著作権の話は後で考えるとして、ここでは個人の著作権に話題を絞ります。
この提案に現在の私の考えを付け加えて簡単に整理してみます。
権利放棄に利益がなく、リバイバルブームの僅かな可能性がある以上、コンテンツが死蔵されるのは自然です。納得ずくで権利を放棄させる主な方法は「著作権を財産として課税する」「補償金を支払う」の2通りですが、ここでは、制度設計がシンプルで権利者の不満が少ない後者を選択しています。
もう少し補足すると、外国人の著作権や集団の著作権は(とりあえず)条約なり何なりに従って国際標準に合わせる想定です。また、過去に遡っての適用はしません。これから亡くなる人だけを対象とします。第3項は権利者分散の回避、第5項は10万円以上の価格で権利を買い取る業者の登場を念頭においています。
相続人は、故人の著作物の割引現在価値が10万円を下回ったと判断した時点で納得して手続きをするから、不満を持たないはず。99.9%の国民にとって、これは「政府が故人の火葬代を負担してくれる」嬉しい提案です。必要経費1000~3000億円の財源は、また別の話とさせてください。
三谷幸喜さんの「振り返れば奴がいる」は、山崎豊子さん(存命)の「白い巨塔」を踏襲した作品です。しかし似ているのはあらすじや大まかな設定までだったので、著作権の侵害にはあたりません。bewaadさんの記事には様々な難癖がつけられていますが、その過半は杞憂なんです。
YouTubeによくあるテレビ番組の単純な切り出し・転載や、ニコニコ動画で目立つ切り貼りによるMAD動画は、軽々に認められるべきではないと考えています。しかしある程度の模倣や相似は、法的に許容されることを明記し、ガイドラインを策定して広報すべきだと思います。
著作権の保護期間がどうなろうと、私たちが広義の「再利用」をしたい著作物の大半は現在または近過去のもの。それらの自由利用が可能になる未来は考えにくい。「転載」「改変」は排除、「模倣」「相似」は相当程度まで許容、といった権利の線引きの方が重要だと思う。
古いディズニー映画の著作権が切れたって、脚本や絵を「そのまま」自由に流用できるようになるだけ。その結果は「粗悪な格安DVDが市場でシェアを取る」程度のことで、創作活動へのいい刺激になど、なりはしない。ディズニーの名作の構図やセリフやあらすじは、現在でも様々な形で新作に取り込まれています。
1930~40年代の映画が軒並み権利切れして、どうなったか。その様子を見て私は、「死蔵作品はもっと早く公有され、利益を生み続けている作品は末永く保護されるべき」と考えるようになりました。
「著作権から許諾権を外して報酬請求権とすべき」といった提言は、この本に限らず、よく目にします。なるほどと思うけれども、「こんな使われ方は著作者としては我慢ならない」という心情もまた、よく理解できるところ。
個人的には、「お金の問題じゃない」として許諾で揉めるのは、名誉や思い入れといった、人格に結びつく論点が絡んだケースが多いように見えます。ですから、「著作者が死亡した後は、著作権を報酬請求権とする」ということができないのかな、と思っています。
日本国内で永続する著作権を打ち立てても、海外では自動的に権利が切れてしまうではないか、と。
その通りですが、それの何が問題なんですか?