趣味Web 小説 2009-12-21

コピペ転載(チェーンメール、チェーン日記)批判を問い直す

1.

チェーンメール、チェーン日記全否定の啓蒙活動に思う(2006-12-04)から3年、思うところあるので再論します。最初に断っておきますが、SPAMチェーンメール、SPAMチェーン日記(無差別トラバなど)は議論から除外しています。

私は、事実かどうか・善意かどうかではなくチェーンメール、非公式RTでの伝播が仕組み上問題だと考えています。1度広まった情報はあとから訂正が難しいです。

まぁ、チェーンメールに比べれば、非公式RTはまだ情報元に遡りやすいですが、それでも限度があります。ならば、非公式RTでなくせめて公式RTにするとか、または転載するのでなくリンクするとか、色々と情報元をはっきりとさせておく必要があるでしょう。このダイアリーでも、Twitterでも繰り返し「非公式RTは嫌いだ」「Permlinkを載せろ」と書いていますが、こうした経験があるからです。

チェーンメールやチェーン日記を見つけると、まずもうその形式だけで問題視する人がいるわけです。しかし引用した記事でrikuoさんが問題視しているようなことは、よく考えてみれば、ほとんどの個人のブログとかmixi日記などについて同様の批判が可能ではないでしょうか。

チェーンメールならダメだけど、読者には検証不能な「体験談」とか「知人から聞いた話」を書いてる人はOKなんでしょうか。私は、あえて踏み込むなら、OKだと思う。それがNGとなる世界は窮屈すぎます。

2.

Amazonでレビューをしていると、明らかに「読まずに書かれたレビュー」があることに気付きます。それが半日を費やして書いた自分のレビューよりずっと高い評価を得ている場合があり、腹が立ちます。それでも、そのサイトで当該商品を買ったユーザーだけがレビューを投稿できる仕組みになれば、私自身も困る(近所の新刊書店や古書店で買った本、図書館で借りて読んだ本などのレビューが3割以上ある)ことに思い至ります。

「読まずに書かれたレビュー」に「参考になった」票を入れて、私のレビューに「参考にならなかった」票を入れた人を、私は憎んでさえいるのだけれども、結局、自分も同じ穴の狢(むじな)なんでしょう。私には明らかに「読まずに書かれたレビュー」と断定できても(注:これは根拠を挙げて説明できる)、投票した人にとっては、そうではなかった。

チェーンメールやチェーン日記といった「形式」を批判するのは、筋が悪い。

「コピペ転載はダメだけど、口コミならいい」んですか? 「自分の言葉で語り直せば許せる」んですか? ハイそうです、という人がいるのでしょうけれども、私はそんなの、全く納得いかない。

2004年の中越地震の際に「大人用オムツと貼るカイロを被災地へ送ろう」と呼びかける運動があり、それがたいへんな善意の無駄遣いに終ったという事実があるとして、その運動がチェーンメールやチェーン日記によらず、みなが自分の言葉で友人らに口コミで伝えるという手段で広まったものなら、文句ないのでしょうか。私は文句ありますよ。

つまり、本当に問題があるのは、コピペ転載という形式じゃない。「そんなのわかってるよ」といわれるかもしれないけれど、私はチェーンメール叩きを頑張ってる人の少なからずは「わかってない」と思う。

3.

rikuoさんは、2004年の中越地震についてネットで生じた草の根物資援助運動が陥った失敗を例に、チェーンメールの難点を説明しています。rikuoさんが失敗の実在の傍証としてリンクしているmedialogさんの記事に一次情報はなく、結局、成城大学教授の川上善郎さんが書いたとされる記事に行き着きます。が、そこに書かれているのは、コピペ転載が広まっている事実の指摘と、筆者は「自分」を消している、といった分析。

rikuoさんは、全国から届いた需要に合致しない応援物資の処理に自治体が苦労し、確か数年に渡って倉庫に保管し続け、数百万から数千万円の費用が計上されたのではなかったかなと書く。「だから」チェーンメールはダメだ、という論理展開。

よく読むと、これはおかしいですよ。そもそも「チェーンメールに触発されて大人用オムツと貼るカイロを送った人が大勢いて迷惑になった」事実はあったのか。チェーンメールがなかったら、無駄な援助物資がどれだけ減ったのか。そこのところを誰も論証していない。

rikuoさんの記事を読んで、素朴に「そうか、2004年の中越地震で無駄な援助物資が現地に迷惑をかけたのはチェーンメールのせいだったんだな!」と合点した人は、ちょっと考えてみてほしい。「自分は、何を根拠に合点したんだろう?」と。危険は、そこに潜んでいるのですよ。

コピペ転載は、最初に誰が書いたかわからない情報が生の形でそこにあるから、「どうしてこんなものを信じられるの?」という意見が出てきます。ところが口コミで伝播した情報だと「この人がいうならホントかな」となってしまう。コピペ転載だって、その人が信じて転載したんだから、実質的には同じことなのに。

4.

こうしてエントリーを書いている私も非常時で情報が少ない中、必ずしも常に正しい判断が出来るとは限りません。ならば、安易な転載を行わないのが対策になるではないでしょうか。

私がいいたいのは、この理屈でいうと、転載であろうとなかろうと問題なんじゃないの、と。非常時でなくたって、私もrikuoさんも、根拠の怪しいことを書きまくってるわけでしょ。今さらどうして転載だけ「自粛しましょう」どころか「ダメゼッタイ」とまでエスカレートするのか。

はてブで事実や標準的な学説に真っ向から反している記事が、なぜか賛同系のブクマを大量に集めて上位に登場することがしばしばあります。チェーンメールの効果なんて、ヘンな記事に好意的なブクマをして(結果的に)宣伝するのと大差ない。コミュニティに自浄作用がある保証なんかないわけで。

だいたい、本来であれば、チェーン日記はともかく、チェーンメールは、むしろ訂正が容易なはずです。発信者のアドレス帳に自分の名前があったから、メールが届いたわけでしょう。最初の発信者が訂正メールを送れば、順次、訂正情報が流れるはずです。

そうならない理由はいろいろあるでしょうが、最大の要因は、最初の発信者が自分の間違いに気付かないからではないですか? もしそうだとすれば、一部の人が何度「あなたの記事には間違いがありますよ」と指摘しても全く訂正されないまま検索結果上位に居座るダメな人気記事と、問題の構造は共通しています。

5.

Twitterでは投稿したエントリーを修正・追記は行えません。ならば、ブログなど後から編集できるメディアを使って報知するのはどうでしょうか。

そんなことをいったら、メールなんて広報に使えませんよね。仕事で転送メールを使うこと、あるでしょう。再転送だって、するでしょう。別にコピペ転載だから悪いという話じゃないはずなんです。

川上善郎さんは、最初の発信者と発信日時がわかるコピペ転載は、チェーンメールの定義から除外しています。特定時点における情報です、誰某が(責任を負って)発信した情報です、とわかるようになっていれば、一概にコピペ転載を排除しない……。この指針は現実的だと私は思います。

コピペ転載には、伝言ゲームにありがちな情報の劣化が生じない美点があります。また再転載を許すことには、最初の発信者と直接には関わりのない、しかしその情報があれば有用な人に、情報を届けられるメリットがあります。デメリットがあるから全部ダメというのではなく、問題点を解消してメリットを活かすべき。

補足:

「転載しなくてもソースにリンクすればいい」と、よくいわれますが、アクセス解析すれば明らかなように、リンク先なんか読みに行く人は半分もいない。自分の記事の読者1000人なら1000人に確実に情報を届けたいなら、転載するしかないのが現実です。

あと、「リンク先はすぐに消えてしまう」という問題もあります。自分の記事は何年間も検索エンジン経由でアクセスが途絶えないのに、肝心の情報をリンク先任せにしていたために、みんなが無駄足を踏むことに。そういう悲しい記事が、この備忘録にもいくつもあります……。

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