趣味Web 小説 2010-01-18

消費者が決める新聞の未来

1.

でも、新聞のコンテンツが全部ジャーナリズムかっていうと全然そんなことはないから経営難になってるわけで。新聞のコンテンツのうち、「単なる発表の写し」って部分はかなり多いと思うんだけども、そこでは新聞社がジャーナリズム(あるいはコンテンツ生成)としての仕事をしているわけではなくって、これまでも単に情報流通の仕事しかしていなかった。だからいま苦境に陥っている。

「単なる発表の写し」はインターネットによって不要になったかというと、全くそうなっていない。『Authority - 日本の影響力のあるブログランキング100』の上位に並ぶのは、情報の収集整理がメインのブログ。『GIGAZINE』は「オリジナルのコンテンツに乏しい」と蔑視されがちだけれども、それは中間情報産業への偏見によるもの。

現に、「自分で世界にアンテナを張るのは面倒くさい。自分とセンスの近い情報整理サイトをいくつかチェックすればそれでいいや」という人がたくさんいるからこそ、『GIGAZINE』などは人気を集めるわけ。官房長官の記者会見を『首相官邸』で毎日チェックしたいですか? かなり熱心な人でも、言葉尻を捉えた批判を見たときに「前後の文脈を合わせて知りたい」と思ったときだけ、見に行くのが精々だと思う。毎日たくさんの情報源をチェックするのは、現実には困難。だから情報の収集整理には、大きな価値がある。

Livedoor Reader』のような膨大なフィードの処理に適したRSSリーダーが登場して以降、1000件以上のフィードを登録した方はたくさんいる。ではそれで自分の知りたい情報のオリジナル(に可能な限り近いもの)を網羅できているかというと、答えはNoでしょう。多分、フィードを1万集めても10万集めても、網羅はできないと思う。だから結局、『カトゆー家断絶』や『はてなブックマーク』などの情報整理サイトもチェックせざるをえない。

2.

アニメ産業の金回り、音楽や書籍の著者印税などの話題を見ていていつも首を傾げるのが、「どうして最初の一歩ばかり注目されるのか」ということ。報道機関や『GIGAZINE』に投げかけられる軽蔑の眼差しも、構図は同じ。

もしアニメ製作会社の人だけでいい作品を完成させることができて、それを『YouTube』に投稿したら十分な宣伝になって、DVDの直販や高画質動画の直接有料配信だけで制作費を回収できるなら、みんなそうするはず。何より、まず出資者がそういうことを考えるよ。彼らは金儲けをしたいのだから、投資したお金の多くが本当に「無駄」になっているなら、黙っているはずがない。

「だから中間搾取している当人が出資しているんだってば!」って? そんなうまい話があるなら、世間には無数の投資ファンドがあるのだから、いくらでも新規参入があると思う。いやだって、真の経費が売上の1割で、9割を無駄遣いしても収支トントンの投資案件が実在するなら、夢のような話です。

あるいは、億円単位の現預金のある音楽業界のアーティストたちは、もう大組織に所属する理由がない。自己資金で作品をリリースできるのだから。そして実際、独立したアーティストは何人もいます。が、やっぱり少ない。多数派ではない。宇多田ヒカルのようなトップアーティストでも、手取りがかなり減ることを承知で他人に作品をリリースさせている。

俳優・タレントなど、まさに身一つをそのままコンテンツとしている方々さえ、ちょっと調べてみると意想外に独立している人が少ない。「ピンはね」は承知で組織に属している。でもそこに、「不当な中間搾取」はないのですよ。合理的な判断の結果なんです。

よく「テレビは総務省が電波を許認可しているから規制に守られた産業で云々」という。でも、地方は明らかに電波が余っている。関東だって、地デジ移行でみんなUHFアンテナを持つことになるので、電波の不足は問題にならない。総務省は「もうこれ以上、地上波のテレビ局は増やさない」なんて宣言はしていない。電波法の規制が採算ラインを吊り上げているとしても、「国民が納得できる範囲内の規制緩和で有力な新規参入業者が現れる」という説得力のある業界分析を見たことがない。

大都市圏と地方の経済格差くらいでこれほど局数が違ってしまうのだから、現状は規制より競争の結果と考えたほうがよほど納得しやすい。テレビ局の職員給与が単純に規制の産物なら、1968年開局のテレビ東京や1995年開局の東京MXの給料が安いのはなぜ? 東京ではリモコンの「12ch」や「9ch」のボタンを押したくなくなる病気が蔓延しているのか。

もし先行局の資本の蓄積が後発局の追随を許さない唯一最大の理由なのだとすれば、テレビ東京が民放トップを目指して増資に成功すれば、状況は一変します。そこに勝算があれば、ソフトバンクがボーダフォン日本法人を買収して携帯電話事業に新規参入したときのように、出資者が登場することでしょう。

現在の均衡が最適解だとはいわない。けれども、よほど変な規制でも存在しない限り、経済合理性を全く欠いたビジネスというのは、まずありえない。もしその数少ない例外を発見できたなら、ぜひ投資して大儲けしていただきたい。大勢の「果敢な挑戦」が中間搾取を少しずつ排除してきたのが資本主義の歴史だと思う。

3.

かなりの割合の国民が新聞記事の内容を信頼しているのに、肝心の新聞を購読しなくなった理由は、ネットで新聞記事を読めるようになったからだけではなく、新聞紙に掲載されている情報のうち、読者が読みたいと思う記事が全体に比べてわずかだからである。

(中略)

国内のネット関連企業に関しては、Yahoo!の規模と収益性は群を抜いており、考えようによっては彼らが既存の情報産業に対する確信犯的なフリーライダー(ただ乗り)になっていると指摘することもできよう。もちろん、合法的な契約に基づいて新聞社、出版社などから記事の情報を提供され、読者に無料で閲覧させているのだから、何ら問題はないのだが、その記事を提供するために得られる対価だけでは、新聞社も出版社もその企業規模を維持することができない。持続可能な協調関係ではないのは明確である。

(中略)

いま、我が国の情報産業に対して必要とされるのは適正な利益率であり、対価をきちんと支払って情報を得るという本来の情報の消費活動に立ち返るための処方箋に他ならない。既存の情報産業がネット時代の新自由主義的な自由競争の流儀で戦う必要は必ずしもなく、いかに無秩序なネットの現状を統制し公正な競争状態に導いていくかが、いま一番求められていることなのである。

新聞のいいところは、「読者が事前には関心を持っていない情報」を精選して提供してくれることだと思う。私が『Yahoo!ニュース』などを見ないのは、自分が関心を持っているニュースを見ているだけで持ち時間を使い果たしてしまい、後で「えっ!? そんなことがあったとは……もっと早く知りたかった」となるから。

印刷物を毎日届けるコストを考えると、記事のバラ売りはできない。それで新聞は現状のサイズになっている。でも、せっかく新聞にいろいろな記事が書かれていても、ふつうの人は読まないらしい。見出しだけでも読めばいいのにな。『SANKEI EXPRESS』は記事が少なくていい感じ。栃木では読めないのが残念。

私はネットニュースもテレビニュースも時間効率が悪すぎると思うので、新聞の効率のよさにはお金を払う価値があると判断しています。それが宅配の新聞という印刷媒体である意味は、電源不要で独立・完結、面積の大きさと軽さ、折り畳んでも落としても雨で濡れても不都合ないタフさ、読み捨ての気軽さ、読み終わった後の紙としての用途、資源の再利用の容易さ、といったあたりかな。

かくいう私も、コンテンツ自体にお金を払っているわけじゃない。たとえば、私の巡回先でとくに紹介されれば『asahi.com』の記事も読むけれど、「情報料代わりに年1回くらい朝日新聞社の有料サービスを利用してみようか」とは思わない。

それでも、我が国の情報産業に対して必要とされるのは適正な利益率であり、対価をきちんと支払って情報を得るという本来の情報の消費活動に立ち返るための処方箋という山本さんの主張には、強く同意します。

4.

いろいろ書きましたが、ようするに「単なる発表の写し」というのが、意外と手間なのであって、読者はその手間を他人に任せたがっている。実際、その手間を読者の代わりに請け負って上手にこなしているブログは大人気じゃないか、と。

世界に薄く散らばった良質なコンテンツと一般の情報消費者との隔絶を埋めるには、検索エンジンやRSSリーダーでは力不足なのです。リンクという仕組みすら、一部の先進的なユーザー以外には、不十分なものです。「リンク先」なんて、大半の読者には読まれないのです。

にもかかわらず、「リンク先を参照」みたいな手間を読者にかけさせず、単独で完結する記事や、そんな記事を集めた新聞を作る、「情報を収集整理してパッケージングして届ける作業」の価値は不当に低く見積もられている。そのコストが「省略可能なもの」と誤解されている。これは不幸な話だと思う。

しかし私自身、ネットニュースにいちいちカンパする気にはなれない。紙の新聞という商品にお金を払っている。となると、紙の新聞の「良さ」に同意しない人が増えるにつれ、新聞社はつらくなる。現在の無料のネットニュースなんて現状の延長上には永続しえないのだけれど、降りた者負けのチキンゲームになっていく。

『GIGAZINE』が有料化しても読者がついてくるなら、新聞社の未来だって明るい。でも、そうはなるまい。山本さんの記事には見通しのよい結論がないけれども、私も最後は言葉を濁すだけ。

5.

強いていえば、新聞と比較して極端に情報量の少ない(話題の量がまず断然違っていて、ひとつひとつの内容にもかなり差がある)テレビニュースでみんな満足できるなら、広告モデルで報道機関は存続できる、ということなんじゃないかな。「別にいいよ、それで」というのが、現実的な日本の未来のような気がします。

NTTが民営化されて、電話交換機の堅牢性は大幅に落ちました。携帯電話用の交換機に至っては、端っからベストエフォート思想が入り込んでいる。今でもかつての堅牢性を維持しているのは、高速道路などに備え付けられている緊急電話くらい。

新聞には宅配という問題があって、「どのみち、一定以下の価格にはしようがない」という条件がありました。そのため価格競争にはなりにくく、「過剰な利益」を様々な読者の要望に応えて「膨大なコンテンツを提供する」ことに振り向けていった……のではないか。NTTが独占市場で通信料を下げることを選ばず、電話網の堅牢性を高めていったのと同じ構図だと思う。

それが、NTTは民営化で、新聞は無料のネットニュースの登場で、従来とは全く違う競争に巻き込まれた。私はテレビニュースでは全く物足りないから、現状水準の新聞が維持されてほしい。強くそう願う。でも、無理かな、と。電話網も、ずいぶんボロボロになったんだけど、みんな価格が下がって喜んでいるもんね……。

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