趣味Web 小説 2010-02-03

「孤独死は怖い! でもルームシェアはもっと嫌!」な日本人

1.

以前からあちこちで同じことをいっているのだけれども、孤独死の最大の原因は、人々の価値観にある。家族でもないのにひとつ屋根の下では暮らせない、孤独死が何だ、他人との同居なんて真っ平ごめんだよ、ということ。ルームシェアの相手を募集する個人広告が街にあふれているような社会と、日本との大きな違い。

他人と同居するのに結婚なんて高いハードルを設けているから、孤独死することになる。結局、孤独死なんてのは「怖い、怖い」というだけで実際の行動に結びつかない程度の問題なのであって、多くの人は現実に赤の他人と気軽に一緒に暮らすことをこそ真に恐れ、忌避しているのだ。

国民年金では生きていけないとか、生活保護が足りないとか、あるいはベーシック・インカムが日本では非現実的といわざるをえない理由も、この「ちょっとでも気の合わない人とは一緒に暮らしたくない」という価値観が浸透しているところにある。貧しい人が肩を寄せ合えるなら、ベーシック・インカムは月5、6万円程度あれば足りるので、現実味を帯びてくる。これを年額150万円にしようというと、まず不可能。

今では家族介護の悲惨さが啓蒙されて「老人ホームに入れるなんて金持ちはいいわね」みたいな風潮も出てきたけれど、私の幼少期(1980年代)、施設へ「入れられた」人々は「かわいそう」といわれていた。今もそういう感覚は残っているようで、金持ちが家族の介護に勤しむと美談になる。私の感覚だと、お金を払って他人に世話をさせた方が、当人に余計な気を遣わせることが少なくていいわけだが。

2.

私の実家方面では、親戚や友人に家の鍵のスペアを渡していたりする。私のアパートの鍵も、両親と弟がスペアを持っている。この程度のことでも「えっ!?」と驚かれることが増えた。最近は親が勝手に家に入る「可能性」すら許せない人が珍しくないらしい。

そりゃ鍵を渡せば、自分が仕事に行ってる間に家に忍び込むことは可能だろう。でも、そんなことはしないでくれよと子どもがいっているのに、それを親が無視することを「ありうる」と考える信頼のなさって何なのだろう。寂しい話だ。

私自身は、別に自分の留守中に両親が部屋に入ってもいいと思っている。具体的に困ることを思いつかない。私の両親は決して勝手に物を捨てたりしないし、偶然、秘密に類するものを見かけた場合には確実に「見なかったことにする」ので。ただ、世の中にそういう人が滅多にいないことを、今の私は知っている。

無茶をいうつもりはない。しかし、みんなが自由に振舞って、されたくないことは物理的にブロックすることで対抗する、というような社会の方向性には危惧を抱く。それが多様な価値観が共存する社会のひとつの解であることは否定しない。否定しないが、私はその解に満足していない。

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