趣味Web 小説 2010-02-08

リンク切れの痛み

吉山さんの記事って、すぐに消えてしまうからリンクしにくい。どうせ5年も経てばデッドリンクだらけになってしまうのだけれど、私の中で記事にした話題がホットな状態な間くらいは生存してほしいのだけれど、その信頼が持てないんですよね……。最近も、はてなダイアリーが消えましたし……。

今の私にとって、転載はなかなか面倒。探せばいいツールがあったりするのかもしれないけれど。だから、転載OKだとしても、転載はしない。だから転載OKかどうかを調べることも、滅多にない。サイトの閉鎖予告があれば、権利関係を調べて転載することもありますが、たいていは無言でパッと消えてしまう。

転載リソース集をはじめたときは、「きっとこのコンテンツがサーバー容量の大半を持っていくんだろう」なんて思っていたんですけれども。

私の悩みの種は、日記と作り話では体裁が異なる、というか書き方が異なることだ。 このブログの過去ログは出来も良くないためほとんど一から書き直さなくてはならない。おまけに私が書いた文章は、どれもこれも異なる体裁で扱うべきだったというのに、ほとんど同じように扱わなければならないという問題までも抱えている。従って、私は自分が書いた文章を分かりやすく分類をしていく作業に苦労していた。そんな状態なものだから、このままでいいのかなあと私はよく思う。

野嵜さんが私に対して「ネタを公開せずに消すのはもったいない」といいたくなる気持ちは、引用したような吉山さんの主張に対して抱くもやもやに近いのかもしれない。

吉山さんが「書き直したい」を突き抜けて「書き直さなくてはならない」と思い詰め、「改訂作業が済むまで元の文章は公開を取りやめる」となってしまうのは、私としては残念です。とはいえ、私自身、「こんなものは公開しておけない」と思って消してしまった記事、全面的に改訂した記事はいくつもあります。

「書き手」の基準と「読み手」の基準が異なることは、よくわかります。

近い将来削除されることが判明しているWeb文書は、リンクするとWWWの傷になるので控えた方がベター。

私はそこまで峻厳に考えていないけれども、過去記事を読んでいてリンク先が消えていると、つらい。どういうわけか、リンク先も含めて自分の記事、という風に考えている自分がいるのです。「リンクが死んでも記事単体で意味が通じるように」とは、もう長らく考えていることですが、いずれも多少の意味があってリンクしているのだから、リンク切れが何のダメージにもならないわけがない。

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