趣味Web 小説 2010-02-12

memo:あらためて「素朴な相対主義」について

神崎智徳さんが『「相對主義」とは何なのか』という疑問を提示されていたので、私なりの回答をメールで送ったのは昨秋のこと。そのレスポンスが昨日あって……。

1.

記事のタイトルに驚いた。なんで「相対主義=多数決絶対主義」などと解釈されるのか、何度か読んでみたけれど、よくわからなかった。なので、以下は「反論」ではなく、単に私の意見の「再論」です。

「相対主義」にもいろいろあるけれど、「素朴な相対主義」では、「事実は共有できる」と考える。人と人とが共有できないのは、「事実の解釈(を導く価値観)」である、とします。

哲学の世界では「徹底した相対主義」がよく論じられていて、そこでは人間が世界を認識する能力の制約などを理由に、事実の共有も不可能とされています。ただ、一般人の日常生活レベルで、そういう「徹底した相対主義」を唱える利益は乏しい。以下、簡単のため「素朴な相対主義」を相対主義と書きます。

神崎さんは物事は人の數だけ樣々な見方があり、それぞれの見方は侵してはならないとする主義を「相対主義」としているのだけれども、素朴な相対主義者の実感は「何が絶対に正しいかなんてわからない」だと思う。つまり、価値観闘争を「してはいけない」のではなくて、「やってもいいけど、決着は付かないと思うよ」という見方。

だから相対主義者は、議論が事実の争いから価値観闘争へ移行したら、「降りる」ことが多いと思う。

2.

ここからは入り組んだ話をするので、注意して読んでください。

相対主義の見地からは価値観闘争に決着は付かないはずなんだけれども、実際にはそうならないことが少なくない。なぜならば、議論することによって、現実は影響を受けてしまうからです。とくに少数派は損をすることが多い。そのため、議論が結果的に少数派の沈黙を導くことがあります。

絶対主義者より相対主義者に「他者の価値観に干渉すべからず」と考える人が多いとすれば、「絶対に正しい価値観」はなくとも、「絶対に議論に勝つ価値観」はある、という観察の結果かもしれません。結論を求める議論は最終的に少数意見を潰すので、議論を拒否して、価値観の並立状況を守ろうとするわけです。

注:私自身は「他者の価値観に干渉してはいけないなんて誰が決めたの?」という立場。内面不干渉を「絶対に正しい」と考えて凝り固まっている人に辟易させられることの方が多いから、緊急避難が必要な場面を「例外」として、「基本」は価値観闘争OKがよい、と思っています。

自分の意見が絶対に正しいとは思わないし、他人の意見もそうだと考える相対主義者は、議論に冷淡でもよさそう。でも世の中を見ると、相対主義の人も議論をしています。それはなぜかといえば、現実に存在する不利益は解消したい、という点では、価値観を共有できることが多いからです。そこに議論の基盤がある。

「現実に存在する不利益」といってもいろいろあって、ウェブの議論の少なからずは、「お互い、相手の考え方がわからないのは不安だよね」という「不利益」をテーマにしています。だから、自分の説明を「理解」してほしいと思って、いろいろ説明する。

相対主義者同士の議論なら、お互いの結論が異なる理由を探求した結果、「***に対する価値判断が違うため」と判明すれば、それで納得します。お互いの事情と考え方を理解したら、後は「衝突を避けて不利益が少ない形で住み分けをしようじゃないか」という話になっていく。それ以上の説得は不可能だし、不要。

もちろん、社会が何らかの価値判断を行う必要に迫られる場面はありますよね。価値観闘争を否定する人も「生命などに関わる重大なテーマでは、多数決の結果が個人の価値観に優先することを認めて、その他の切迫した生命存続の問題に直接関わらないテーマでは、それぞれの立場を守る」といった折衷案に落ち着くことが多いようです。

困ったときの多数決。多数決の正しさに保証はないが、多数派が「ここはもう多数決しかない」と考えれば、社会的には通用します。

3.

相対主義は絶対主義を否定していない。否定する根拠がないから。「徹底した相対主義」は絶対主義を本当に否定するけれど、「素朴」な方は、「わからない」「判断保留」みたいな立場。

あと、よく勘違いされるんだけど、相対主義者って、自分の意見は持っているんですよ。ただ、それが絶対に正しいという確信はない。確信はないんだけど、相手の方が正しいと納得できないのに、「向こうは確信を持っている!」なんて理由で相手の意見を受け入れられる? それはヘンでしょ。

だから、ネットで時々見かける「相対主義者のくせに俺の意見に少しも賛同しないなんておかしい」というのはズレてる。多分、自分の価値観を「守る」ことにかけては、絶対主義者以上に頑なだと思う。

相対主義は、文化相対主義として浸透しています。「未開」の部族を不幸だと決め付けて西洋の価値観を押し付けることへの反省、みたいな。だから、相対主義のポイントは「押し付けの自粛」であって、自分の意見に自信がないから他人の押し付けをどんどん受け入れる、とはならないんですよ。

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