あらすじ:私ははてなブックマークを日記のネタ帳にしているのだけれども、年に数回、記事にならなかったネタをバッサリ整理しています。もったいない、ネタをそのまま出すのも有意義だよ、という意見をいただくも、私は納得できない。まず面倒くさいし、「よくない」記事を補足説明なしで紹介するのも嫌だ、と。
何か話が變なんだけれども? 徳保さんの「ネタ」連發と、Kirokuroなんかの嫌がらせと、何が同じだと言ふのだらう。
例のネタ出し記事は、ネタ帳から消すことにしたネット上の文章の一部をご紹介します
とある通り、とくに選んで紹介したものです。賛同できない内容の記事も多いけれど、これくらいなら「補足説明なしでリンクできる」と判断した記事だけを残したのです。この選別にはけっこう手間がかかり、「ネタ出し記事は2010年1月版限りにしよう」と思った理由のひとつとなっています。
野嵜さんのレスポンスは全部で8,000字くらいあって、さまざまな問題提起がなされています。大きな論点はひとつだと思うけれど……。じつのところ、私の方にはとくに考えがない。ネタ出しには意義があるといわれても、実際問題、身体が動かない。記事に書いたようなことは、「なぜ身体が動かないのか?」という疑問に対して、思いついたことを書き並べただけで、肝心なところが抜けているかもしれない。
斯うした「社會的影響」を問題にする場合、「惡い影響を及ぼす可能性がある」と云ふ「可能性」を根據に「すべきでない」とする意見は多い。が、徳保さんは、その邊の「理論」の微妙さを解つてゐるので、理性的には何うしやうもないから、「嫌」と云ふ感情的な理由を示してゐるのだと思ふ。
「嫌」といえば、無言で紹介すると「消極的に支持している」と誤解されやすいのも、「よくない」記事をリンクだけで紹介したくない理由のひとつかな。よく読んでいる日記なら、紹介する側の意図を、少なくとも極端な事例では判別できます。でも、たまにしか目にしない日記、初めて見る日記の場合、書き手のふだんの主張を知らないので、どういうつもりでリンクしているのかわからない。
わからなければ無色透明になるかというと、そんなことはないです。私はアクセス解析をちょくちょく見るのですが、個人ニュースサイトとか、ほとんどコメントなしでリンクだけされるでしょう。ふつう、そういうのは消極的支持と考えると思うんですね。無言・タグなしのソーシャルブックマークや、twitterでのURIだけの紹介だってそうです。個別の事情はわからないけれども、平均すれば、不支持や中立より支持に近いとみる。
何でもかんでも「あれはあれ、これはこれ」といったら言葉を操ることもできなくなる。私自身、よくわからない無言でのリンクは消極的であれ支持とみなしており、自分が無言でリンクした場合も同様に見られると想像できます。実際、ただリンクしただけなのに、リンク先と一緒に批判されたことはありますし。
そんなに「誤解が嫌」なら日記なんか公開しなければいい、というのは話を単純化しすぎ。日記の公開には一定の精神的充足が伴う。だから日記は公開したい。けれども、ひどい誤解をされまくったら、そのコストがメリットを上回ってしまう。したがって、誤解を招かないよう配慮しながら日記を書くのがベストなんです。
もちろん、あんまり気にしすぎたら、何も書けなくなる。日記を書く面倒が一線を超えてしまう。そのあたりは試行錯誤ですね。ただ、「よくない」記事をコメントなしでリンクするのは、経験的にNGです。リンクしても(少なくとも私は)面白くないし、賛同していると誤解される確率も高い。いいことがないです。
徳保さんの何時もの記事、いらいらしてゐるやうには全然見えない。「問題」を、パズルを解くやうな感じで、淡々と解いて見せてゐるやうな印象がある。だから「何でこんな問題を採上げてゐるの?」と、私は屡々不思議に思つてゐた。
私にとって印象深いのが、「イライラして書いた」記事なんでしょうね。記事の一覧を眺めてみると、「ふと思いついたことを書き始めたら、何となくいいたいことがまとまった」という、淡々と書き始めてそのまま書き終わった記事の方が、たしかに多い。
個人的な興味関心をいえば、「日銀は許せん」というのが本当に大きいんだけれども、同じことを何度も書くだけにしかならず、その話題で「記事を書く」のは飽き飽きしてます。何回でも同じことを書くのは悪いことじゃない。実際、それで大勢の読者の支持を集めている日記は数多い。でも私は「面倒くさい」「もう飽きた」に負けてしまう。それで、関心の順位が低い話題が記事になることが多い。
結果的に「いつもの話」になっているケースが大半だとしても、とにかく書き上げてしまえば、もう「面倒くさい病」はうるさいことをいいません。あ、記事をブログツールにコピペして、タイトルを考えて投稿するという作業が残っていたか……。ここで挫折することも多い。
私にしてみれば、さうさう問題は簡單に片附かないものであつて、となれば、そもそもの「問題がある」程度の事を言立てるくらゐの事でもしておけば、それで無名の人間の出來る精一杯の事だらうと思つてゐる。そして人は、自分に出來る事を、精一杯やつてゐれば良いのだ。常連さんが解つて呉れればそれは有難い事だし、わからない人が出て來るのは仕方がない。
その通りだなぁ、と思うのだけれど、たぶん行動は伴わない。最近は日銀の話題なんかネタ帳への登録すらしていない。ブックマークレットひとつポンとやるだけなのに。いちばん気になってる話題すら「あー面倒だ、もう知らん」状態。この「やる気のなさ」にあれこれ説明をつけても、あまり意味ないかもしれない。
単純にネタ帳をバサバサ整理するのには「物を壊す楽しさ」があって、それでザクザク消しているのかもしれない。よくわからない。