繰り返し出てくる、この話題。
生産性が2%/年向上すると、理屈では36年後には現在と同等の材やサービスを半数の労働者で生産でき、その半分は賃金、残りを失業手当に回せます。以後も失業率は漸増しますが生活水準は一定。
主要先進国では年平均2%弱の生産性上昇が続いてる。それに応じて需要をきちんと増やしてきた国では、直近20年で国民1人当たり実質1.5倍程度の経済成長を実現してる。とすれば、もし生活水準を固定すれば、国民の総労働時間は20年前と比較して3割は減らせるはず!?
……といった考え方が現実と整合しない理由は、主に3つあると思う。
「かつての高級リンゴの味は、現在の普及帯のリンゴの味にも及ばない」「鶏卵にサルモネラ菌が付着している確率が、この半世紀で100分の1になった」といった「質」の向上が起きても、私たちが飢えないために食べる必要がある「量」は全く変わらない。
100円ショップなどが物価の岩盤をかなり崩したとはいえ、「量」の革新にはなお壁があり、最低限の生活に必要な費用はあまり下がらない。畜産物や加工食品の品質保証水準の向上には、目覚しいものがありますが、こうした目に見えにくい「質」の改善は意識されず、生産性の上昇を実感できない人が多いのかもしれない。
それからやっぱり、保険診療の水準が現状維持で固定されたとき、海外の医学の進歩が羨ましくなるのは必定。「今後、低コスト化と省力化につながらない医療の進歩は認めない。いま助からない人は、もう諦めなさい」という話に諸手を上げて賛同する人は珍しいと思う。死んでたまるか、ふざけるな、と思うよ、きっと。
定常社会論を形而上的に支持する人は多いけれど、具体的に考えて、それでも賛成するという人は、私の周囲では見かけたことがない。