趣味Web 小説 2010-02-26

「理想的なゲーム体験」の押し付け

個人的には、ピンとこない話。

これは中杜さんの記事とは関係ない話かもしれないけれど、少し。

『クロノ・トリガー』で有名な光田康典さんは、作曲にとどまらず、しばしば音響監督のような仕事もされているらしい。『ソーマブリンガー』の Creator's Voice では「自然なセリフ送りをすると音楽とピッタリ合うように作った」という趣旨の発言をされています。『ワールド・デストラクション』のイベント演出も同様の配慮がされています。

それはそれでよいのですが、問題は、いずれの作品も、セリフ送りの速度に制限が付いているのです。ボタンを押したら1画面分がパッと表示される仕組みだったら、1秒に2~3画面分ずつドンドン読んでいけるのにな……と不便に感じることが多い。速読に対応してくれないわけ。

同様の不満を感じることが多いのが、ボイスつきのゲーム。せっかくボイスがあるのだから、ということで、セリフをパッと送らせてくれない。声優の演技に合わせてタイミングよくボタンを押させたいらしい。演出の意図にプレーヤーを付き合わせたいなら、セリフの自動送り機能を用意してくれたらいいのに、と思う。

『クロノ・トリガー』のサントラには、リメイク版に収録されたイベントムービー専用のアレンジバージョンが、みんな収録されています。編曲は光田さん。映像に合わせて、いちいち作り直したのだそう。光田さんは凝り性というか、何でも自分でやりたがる、ということがよくわかる。

それを歓迎する人も多いのでしょうが、私の感覚だと、そういう「こだわり」が、「製作者の考える理想的なゲーム体験の押し付け」を生んでいるように思える。そういうのって、ゲームと相性が悪いのではないか。シナリオ担当や音楽担当が、自分の理想を実現しようとすると、部分最適は達成してもゲーム体験は悪化するんじゃないか。

ニコニコ動画には、近年の曲の8bitアレンジとか、逆に古い曲のオーケストラアレンジ、あるいは音楽を変更したゲーム動画などがたくさんあります。それらを視聴してみた感想は、ゲーム音楽の要諦は「短時間でループする。しかし数時間も聞く」ということなんだな、と。

音楽的雰囲気だけなら、音楽を作成できるプロの人なら多くの人ができるでしょう。しかしゲームでは雰囲気にあわせて曲をその場に貼り付けるだけでは、不十分なのです。

たとえば、ゲームは多くの場合プレイヤーの進行スピードにあわせる必要があるので、ループをさせます。しかしそれはゲームの長さにあわせて適切な長さで、きわめて自然にしなければいけません。

1分程度でループすれば、よほど特殊なケース以外は合う、というのがド素人の感想。「きわめて自然に」なんていっても、そもそもプレーヤーの操作の方にイレギュラーが多すぎるので、ひとつの理想的なプレイを前提とした音楽というのは、むしろありえない。

『ソーマブリンガー』はアクションRPGなので、フィールドとバトルの切り替えがない。「だからフィールド曲をかなり長くした」という趣旨の発言を光田さんはされてます。でも個人的には、同じアクションRPGでも『聖剣伝説2』などの短時間でループするフィールド曲の方が印象深いし、不満も感じた覚えがない。

DSでリメイクされた『SaGa2』では、原作において容量の制約ゆえ非常に短時間でループしていた曲について、2ループ目をアレンジして2周単位で大ループするよう変更されています。が、プレーヤー的には、さして意義を感じない。新作ゲームに30秒ループの曲があると叩かれたりしますが、私には理由がわからない。

『ドラゴンクエストソード』の作曲について、担当の松前真奈美さんに、すぎやまこういちさんは「曲目を減らして、自然とメロディが記憶に残るように」と助言したという。1ループを適当に短くするのも、同じ理屈で推奨できます。懐かしのゲーム音楽といっても、思い出せるのは1分足らずの主旋律だけ。

ゲーム音楽の要諦は「短時間でループする。しかし数時間も聞く」……それ以上は考えすぎなんじゃないのか。作曲家はフォーマットを守って仕事をして、曲の使い方はディレクターに任せる、というくらいの方が、結果はいいのでは、なんて思う。

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