通ってる病院に先日行ったら「予約システム稼働開始しました!」みたいなビラが配られていた。
ようやくネットで予約できるようになったのかと思って見てみたら、電話をかけて「日時を入力してください ピッ」みたいに流れてくる音声に従って入力するシステムだった。今時それはないわ。そうまでしてネットを使いたくないのか。
この記事は、「お年寄りがネットを使えない」から病院の予約が電話を利用した仕組みになるのだ、と説明する。私は、これは単純に「使える」「使えない」という話ではないように思う。
「あるある」「それはないわ」……いろいろな感想があると思う。ともかく、お年寄りがどうこうといわず、「まず自分がどれくらいネットを活用しているか」を考えてみてほしい。携帯電話を使いこなしている私の弟でさえ、プレゼント選びは全くの行き当たりばったりだった。「どうしてそこでネットを使わない?」と、自分に問いかけてみてほしい。
ひとつの仮説として。私は「不確実」を忌避しているのではないか。実際には記憶ほど当てにならないものもないのだが、いざというときほど、記憶に頼る。それで、喘息に苦しむ私は、耳鼻科の広告板のところへ行った。そこには絶対、耳鼻科の場所が記載されているはずだ。病院の定休日も、ネット上に情報があるかどうか、あったとしてそれが正しいかどうか、わかったものではない。病院の入り口の看板なら、確実だ。
あるいは、私は「決断をギリギリまで先延ばしにしたい」と考えているのではないか。映画のチケットを予約したら、その日の行動は、予め定まってしまう。それで何の問題がある? ないよ、ないんだけど、フリーハンドを維持すること、それ自体に私は価値を感じているのではないか。流動性選好と相似。ほしい本をAmazonで買わないのは、無意識の迷いがあるケースなのではないか。商品を手に取って最終判断をしたい、と。
後はもう単純に、「事前調査」のコストが、そのメリットに見合わないケース。「ひどい店に入っちゃった。先に評判を確かめておくんだった……」と思っているのだけれど、無意識の情動まで加味したとき、じつは「グチグチいって、後で調べてお店の悪評判を眺めるのが、かなり楽しい」のかもしれない。そうであれば、無策で突っ込んで成功したら文句ないし、失敗しても総合的に見て不都合はないことになる。
歯科医は基本的に予約制なんだけど、私は「何時間でも待つ」といって、予約しないで行くことがある(あった)。病院の待合室では、目移りする要素がないから、読書がスイスイ進む。これが嬉しい。そもそも「予約」という仕組み自体に魅力を感じない、ということも十分に考えられるわけ。
リンク先の記事の筆者は、病院をネットで予約したいらしい。そういうこともあるとは思う。でも、電話を使った仕組みにガッカリする理由が、私にはよくわからない。
私が連想するのは、宅配便の再配達依頼。不在連絡票には、「ドライバーに電話」「集配所に電話」「電話の自動応答システムで依頼」「ウェブサイトで依頼」という4種類くらいの依頼方法が書かれている。電話受付が可能な時間帯なら、私は必ず「ドライバーに電話」を選択する。帰宅が遅くなった場合は、24時間受付の「電話の自動応答システムで依頼」をする。「ウェブサイトで依頼」したことは、一度しかない。
予定表との連携とか、繰り返し作業の自動化とか、そういったことを考えなければ、やっぱり電話が簡単でいい。最初に電話番号を入力した後は、自動音声にしたがって数字キーをピコピコやるだけで予約を完了できる簡便さは、ネット予約にはないと思う。
行政の電子申請システムがほとんど利用されないという問題がたびたび報じられるのだけれど、「稀にしか書かない書類」が電子化されても、正直、メリットを感じない。窓口で人に相談しながら空欄を埋めていく方がいい。
「えっと、ここに苗字ですよね」
「はい」
「ふりがなは、えーと」
「ひらがなでお願いします」
「はいはい」うん、たしかに「ふりがな」と書かれている。
「住所は東京都から?」
「はい、都道府県からよろしくお願い致します」
「んー、丁目は略して、1の46の、と書いてもいいですか」
「丁目は入れていただけると助かります」
「了解しました」
この例はちょっと極端かもしれないけれど、慣れない書類を書くときって、細かいところが妙に気になるじゃないですか。
ネット予約は、電話よりビジュアルに優れた面はあると思う。最初から「もう無理」な時間帯が表示されていれば、希望時間帯を入力してから「混雑しています。他の時間帯を指定してください」と返されてガッカリせずにすむ。それでも、電話方式のシンプルさは、過半の予約システム利用者にとって有意義だと思う。