どんな政策も、やめるとなると、ノイジー・マイノリティが大騒ぎする。民主党政権の「事業仕分け」は、その抵抗を叩き潰す世論のうねりを顕在化させたところに大きな意味があった。「へぇ、世間の注目さえ集めれば、予算を削った方が票になるのか」と。
これで国会の審議も面白くなるかと期待したのだが、サッパリだ。政権も民主党も支持を落として、「支持政党なし」が急伸している。
選挙というのは、所詮、出馬した候補の誰かが当選するものだから、「どの政党もダメだ」が国民の気持ちでも、結果として民主党が勝ったり、自民党が勝ったりしてしまう。そうして政治不信が募っていく。「衆愚政治」を恐れることも重要だろうが、何回選挙をしても政治に民意が反映されないことこそ、眼前にある民主主義の危機だ。
歴史的な知見から、真に国民のためになる政策と世間知の不整合が指摘される金融政策の分野は、あえて選挙から距離を置く仕組みになっている。しかし政治が全面的に国民の意志と遊離していいはずがない。国民が判断を誤ったら、その痛みをフィードバックして、新しい判断を促すのが基本線であるべきだ。
官主導で法人や団体を作って実施する事業を片っ端から整理して財政赤字を減らせ、と国民はいっている。政治家は、各論に反対する少数の(しかし大きな)声に屈せず、愚直にやりぬいてほしい。不景気に緊縮財政では、よい結果は望めまい。が、それでもやるべきだ。代理人が主権者を騙し続けても、未来はないと思う。
前日銀総裁の福井俊彦さんが就任当初にスルスルと当座預金残高を積み上げ、結果的に巨額の為替介入が非不胎化され金融緩和による景気の下支えが実現された(注:この解釈を私は支持する)ように、日銀が豹変して、最低限の水準であれ、景気の下支えをしてくれないとも限らない。
そんな神頼みではダメだというなら、国民を説得する努力を、もっとするべきだ。国会に国民の声を代表する政党がないから、論戦がつまらない。「高校授業料の無料化それ自体には賛成」してしまい、朝鮮学校の扱いに焦点を当てる現在の国会は、「新聞の社説レベルで政治をやる間違い」(与謝野馨『堂々たる政治』より)に陥っている。
何が「政治の責任」だ。「地獄」を回避して「最悪」を実現しました、という水準だから国民が怒るんだろう。結果で納得させられないなら、エージェントとして仕事をしてくれた方がいいよ。
民主主義は悲惨な戦争さえ招く。しかし、戦争を止められるのも民主主義だ。第二次世界大戦の際、独裁者が支配したドイツは、全土を蹂躙されヒトラー総統が自害するまで戦争を継続してしまった。