趣味Web 小説 2010-03-20

CEREVO CAM と起業家精神

私が「何を考えてこんなのを作ったのかなあ」と思うような商品にも、それぞれ裏に熱いドラマがあるのだろうな……ということを、あらためて思いました。以前から、何かというと「愛がない」とか「志が低い」とか「やっつけ仕事なんじゃないか」とかなんとか、そういう種類の非難には違和感があったんです。

大手家電メーカーにとって"ネットに繋がっていることが前提の家電"をゼロベースで思考することは想像を絶する難しさだった。また、既存家電の形状・UIを大きく見直すことも、これまた社内調整だけで年単位...という状況。

だから、独立して企業されたのだという。正直なところ、私は CEREVO CAM が大成功する商品だとは思わない。

カメラ機能の充実を売りにする携帯電話や、無線LAN機能を搭載した(近接撮影もズームもできる携帯電話とは一線を画す水準の)デジカメの方が、ネット対応の部分では荒削りだったりチグハグな箇所があるとしても、やっぱり商品としての訴求力は高いだろうな、と。

何だかんだいって、大抵の工業製品では、大企業でなければ最先端を走れない技術こそが、消費者に対して大きな訴求力を持っているのではないか。つまり、「3G対応で基本機能を押さえた携帯電話であること」や「(トイカメラ扱いとならず)デジカメとして売れるカメラ性能」がないと、あまり売れないだろう、と。

本製品を「デジタルカメラ」として単純にとらえ、既存の無線LAN搭載デジタルカメラや普通のコンパクトデジタルカメラと比較すると、ユーザーには物足りなさしか見えてこない。筐体の質感やボタンなどの各部品の収まり、手触りやボタンなどの押した感覚、液晶のサイズや品質など、ハードウェアとしての完成度を既存のデジタルカメラと比較すると「こんな“カメラ”使えない」と判断するかもしれない。

しかし、ハードウェアとしてでなくサービスとして考えると、「CEREVO CAM」の価値が見えてくる。つまり、日常を写真として切り取って、インターネット上のコミュニティで活用する、このようなサービス、ライフスタイルを実現するためのデバイスであるとユーザーが考えれば、カメラとしての性能に関係無く、この製品の価値が見いだせるというわけだ。

この説明はよくわかる。わかるけど、「それが本当に多くの消費者が求めていたことなのか?」というと、疑問があるわけです。こんなことを書いていると、3年後に恥をかくのは私かもしれないのだけれど、今のところ、方々のレビューを読むに、多くの購入者は最初にカメラ性能のところで「うっ」となってる。

CEREVO CAM は新しいジャンルの商品なので、「カメラ」ではない。だからカメラ性能を割り切ったのは決して本末転倒ではない……まだ発売3ヶ月だし、そうかもしれないな、とは思う。思うけれども、ふつうの消費者の「これってカメラだよね」という先入観と戦っていくだけの魅力があるのかなあ、という疑問は拭い去れない。

なかなかこうした商品が成功するのは難しいよね、と思う。例外は例外じゃないか、と。隔靴掻痒の感はあっても、地道に既存製品への機能追加や機能の改良に努めた方がいい……。私なら、そう考えてしまう。が、世の中にこうして挑戦意欲に富んだ人がたくさんいればこそ、死屍累々の先に新規なヒット商品が生まれる。

とても真似できないことをやってのけた人を、私は尊敬こそすれ、バカにするつもりは毛頭ない。世界を席巻した iPod やニンテンドーDSも、その企画にケチをつけるだけの人はいたそう。私はきっと、そのケチをつけて後で恥をかいた側の人間だ、という自覚はある。

補記:

CEREVO CAM がそれなりに大きなヒットを目指した商品である、という前提がそもそも間違っていて、最初からニッチ向け商品のつもりなのだとしたら、私の違和感は無意味なもの。

でもブログのタイトルが「キャズムを超えろ!」なんだから、そういうつもりで起業したんじゃないのかなあ。大手家電メーカーでは超えられないキャズム(谷)を超える新商品を作るには、起業するしかない、という話なんだろうな、と、そう思ったのですが。

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