おもしろいな、と思って、ノイローゼ気味の偏屈がぼんやり考えたら、こうなった。
まず、いちばん無駄な家具といえばベッドだろう。そんなものなくても、眠るのに支障はない。和室があれば、布団を直に敷ける。しかも和室がある賃貸アパートはたいてい古く、家賃が安い。いいことばっかりだ。だからまず、ベッドは捨てる。
ていうか、最初から持ってなかった。フローリングやクッションフロアに直で布団を敷くと汗が抜けずひどいことになるので、これまではスノコを2段重ねて簡易ベッドにしていたんだった。
登山の経験がある人ならわかると思うけれど、テントって狭いんだよね。キャンプ場専用の素人向けテントは妙に大きくて快適なんだけど、厳しい登山をやってる人のテントは小さい。で、その小さなテントに3人とか4人とか入ってしまう。それを可能にしているのが、寝袋だ。
ペラペラの生地のテントの中で、こんな薄っぺらい寝袋で風邪を引かないか? ところが、そんな寝袋が暑苦しい。考えてみると、ホテルのベッドも薄い……あれ、何ていうの? ブラケットだっけ? それしか掛かってない。だけど断熱効果がちゃんとしていて、周囲を敷き布団……じゃなくて、マットレスだっけ? その下に折り込んでいるから、あれも暑くて目が覚めることがある。
人間てのは自己発熱しているから、断熱すればあったかくなる。掛け布団がふわふわなのは、通気性を重んじていたりするからなんじゃないの。モノを持たない、空間を作るんだ、と本気で考えるなら、捨てていいと思う。
まあ、寝袋は極端だとしても、とにかくふわふわの掛け布団は持たないことにする。……と、押入れがない部屋でも平気になる。畳んだマットレスは座椅子の一種と考えればいいと思う。ソファベッドみたいなもの。
死ぬまでかけても、読みたい本を全部読むことは無理。ジュンク堂へ行ったら、ザッと目に付いた本だけでも3万冊くらい読みたい自分に気付いた。ブックオフへ行っても、読みたい本が5千冊くらい、すぐに見つかる。時間と体力の問題で、やむなく10冊とか20冊とか選ぶのだけれど、本当はダンボール箱をたくさん持参したいくらい。
私は、少しの本を何回も読むより、たくさんの本を読みたい人らしい。あるいは、入手の難しい本に執着するより、今そこにある本を読みたい方なんだな。だから、蔵書なんか、全部、手放していいと思う。実際、今の蔵書は7割が「これから読む本」です。読み終えたのに手許に残っている本は100冊くらいしかない。その内、ブックオフに引取りを拒否されたので、捨てるのも忍びなく、仕方なく持ち帰ったのが40冊。25冊は、古書店でも絶対に手に入らない本。35冊は、いったん手放した後で、再読しようとして3年以上を要した本。
本を電子化しても、それを読む端末がない。パソコンのディスプレイで読むのは嫌だな。会社では業者がくれたパンフレットとかを片っ端から電子化したけど(耐震性チェックで倒壊の恐れが高い建物がたくさん発見され、補強工事も不可能な建物は取り壊されて、そこで働いてた方々が安全な建物に避難した結果、各職場の書類棚が半減した)、やっぱり紙の方が見やすいし、扱いやすい。机の上に並べて比較したりもできるし。
世の中には、仕事の資料だけじゃなく、未読の本をみんなPDFにしちゃう人も増えつつあるらしい。個人的には、PDFは読みたくない。手放しにくい既読の本を電子化するのはいいんだけど、未読の本をPDFなんかにしたら、それきり一生読まない気がする。
……とか何とか考えた末、3年以上、積読になっている本は、ほぼ全て手放した。本棚がスカスカに。
1冊100円で本をPDFにしてくれるサービス。依頼殺到で4ヶ月待ちだそう。「ふぅん」と思って、待ち時間なしのプレミアム会員サービスに登録。2年縛りとかだと嫌だけど、別にそんなことはないので、1ヶ月とか2ヶ月とか、みんな一時的にプレミアム会員になったらいいんじゃないの。
あと、個人的には絶版本でも裁断はとくに気にならないな。本当の本当に自分しか持っていない本というのは、ないと思うし。世間に300冊くらいしか出回ってない絶版本(おりがみ関係です)はあるけれど、バッサリやっちゃうつもり。
実家の広辞苑は最近10年間で1回しか利用されなかったけれども、電子辞書の中の広辞苑は毎週のように利用されているそう。これはまあ、辞書だから、という特殊事情はあるのだけれど。ともかく、私の蔵書の場合、本の物理的な希少性より、面倒がらずに利用できることの方が、自分にとっては大切かな。
多分、一生かけても聞ききれないだけの音楽が世界にはあふれているっぽい。世間で話題になってるアレを聞きたい、コレを聞きたい、と考えなければ、CDを持つ理由がない。どうも、私は音楽にあまり関心がなかったみたい。
毎回、洗うのだから、1食分だけあればいい。茶碗ひとつ、お椀ひとつ、湯のみひとつ、小皿ひとつ、皿ひとつ、小鉢ひとつ、中鉢ひとつ。こうして数え上げてみると、1食分といっても、意外と数があるんだよなあ。
自炊は、する。でないと、仕事を辞めた後の生活が成り立たない。そもそも「モノを持たない生活」というのは、なるべく仕事をしないための準備だと私は思ってる。だから、自炊に必要な物は捨てない。
座布団でいいような気がする。
ひざを痛めるまでは、ちゃぶ台と座布団でいいと思う。椅子とセットでテーブルも処分。
ちゃぶ台もないと、食事に困る。床に皿を置いても、私はとくに「みじめ」とか思わないが、腰が痛くなるのは具体的な弊害。だから、椅子に座らないとひざが痛い人は椅子を捨てられない。それは当然だと思う。
椅子とか、洗面器とか。アメリカへ短期留学したとき、向こうの風呂場にはそういうものがないことを知った。だったら、なくていいんじゃないのか。少なくとも、なきゃ死ぬというようなものではないと思う。
引越で持っていくのは樹脂ケース4つ分と決めて、半分くらい処分した。
通勤用のスーツ(夏、春秋、冬)、コート、ワイシャツ、靴だけで3ケースに迫ってしまい、愕然とした。服ってこんなに体積があるのか。あと靴の体積は完全に読み違えていた。で、スーツの数も減らすことに。
ていうか、私みたいに年平均で衣料品の消費が3万円に満たない人間ですら、こんなに服とかを持っているのは、一体どうしたわけなんだろう。
10型のアナログ液晶テレビ。別に邪魔ではないのだけれど。要らないかもしれないな。
デスクトップは要らないとして。ノートもネットブックでいいや、もう。いまのが壊れたらそうしよ。ちなみに会社のデスクトップはエプソンのNP11になった。最初は不安に感じたけれど、何の問題もないので衝撃を受けた。キーボードとマウスはロジクールのMK250に。ワイヤレスになって机の上が広々。マウスの線って場所食いだったんだな。
どうもしない。
モノがないと声が響いて面白いよ。
あるいは、家賃を節約できると思う。すると、死ぬまでに必要なお金がグッと減るので、給料が安くて楽な仕事を選んだり、さっさと引退したりできるんじゃない? もしくは、今の仕事がきついなら、「とりあえず辞める」という判断をしやすくなる。
世の中、楽でそこそこの給料がもらえる仕事というのは実在するので、苦行を続ける必要はないです。
知らんがな。自分で判断しろ。