趣味Web 小説 2010-06-15

結果が同じならコストは低い方がよい

1.

小惑星の探査を終えて13日に地球へ帰還した『はやぶさ』が話題になっていた。あっさり故障して行方知れずになってしまう衛星も多いが、はやぶさはトラブルを何度も乗り越えてきたので、次第に私のような一般市民にも耳に馴染みのある存在となった。ここ数年、新聞紙面では度々大きく取り上げられてきた。

そのはやぶさがついに旅を終えるということで、NHKの『クローズアップ現代』がはやぶさを取り上げたり、あるいは一般のニュースのひとつとして紹介されるなど、なかなか盛り上がった。私も、はやぶさのラストショットなどを見て、心震える思いをした。

まあ、それはそれとして。

2.

はやぶさは少ない予算で苦労したんだ、もっと予算をつけるべきだった、みたいな話がある。そして、過ぎたことは仕方ないとしても、同型機の『はやぶさ2』や、後継機の『はやぶさ マーク2』の予算を絞るのはおかしい、ともいう。『はやぶさ2』は事業仕分けで予算が削られたのだそうだ。

私は素朴に「結果が同じなら、予算は少ない方がいい」と考える。はやぶさの当初予算がもっと多かったなら、はやぶさは故障しなかったのだろうか。そうだとすれば、もっと人件費を節約できたろうし、優秀な頭脳をこれほど長期間拘束することなく、何か新しい別の事業でさらなる成果が出ていたのかもしれない。増やした予算の額から浮いた人件費を引き、さらなる成果と比較検討する。そうして「予算をもっと増やすのが正しかった」といっているなら、私も「なるほど」と思うのだが。

私も開発の仕事をしているので、もっとお金があれば……という愚痴は、しばしば耳にする。けれども、増やした予算に見合った成果の積み上げに勝算があるのかというと、とくにないことが多い。残業すれば残業代は出る。体力的な「苦労」には、対価が支払われている。頭を悩ますのは、技術者の仕事そのもの。「予算があれば楽なのに」なんてのは「会社の金で仕事をサボりたい」というのと同義ではないか。不満があるなら他社へ移ればいいんだ。実際、自分の優秀さに自信のある人は、みんな転職している。他に行き場がないなら、ここが自分の能力に見合った環境だということ。ならば、ここで頑張るしかないだろう。

はやぶさが成功しようと、はやぶさ2の計画に予算削減の余地があるなら、税金を節約するに越したことはない。繰り返すが、少ない予算で同じ結果が得られるなら、その方がよい。予算が豊富なら、貧乏くさい工夫をしなくてすむのに、なんてのは説明になっていない。

ようするに「はやぶさの成功を見れば、はやぶさ2の予算を縮減した判断は間違っていた」という主張は情緒的で、実がないと私は考える。

プロ野球の契約更改を見ても、同じようなことを思う。チームが優勝したからといって、去年と成績の変わらない選手の給料が大幅アップするなんて、不合理だ。結果としてチームが優勝したことと、その選手のチームへの貢献度の高低は関係がない。ポストシーズンをフルに戦えば15試合にもなるので、勤務時間が長くなった分だけ給料を上げるのが妥当ではないか。あるいは、2年続けて好成績を残したことで信頼感が上昇した、という理由付けなら納得する。しかしやはりチームの優勝は関係ないだろう。

「優勝ボーナス」がないことに選手が怒っても、他のどの球団も現状以上の給料は出してくれないとすれば、優勝ボーナスに合理性はない。もちろん、優勝ボーナスがないとわかれば選手たちはやる気を出さず、結果として優勝ボーナス分を年棒に上積みしないとチーム運営が成り立たない(だから優勝ボーナスは退職金のような「給料の後払い」に相当するものであって、ふだんは目に見えないが、実質的には常に存在し、選手のパフォーマンスに影響を及ぼし続けている)、という可能性はある。しかし、優勝ボーナスを当然視する人々がみな、きちんとそうした理屈付けをしているのだろうか。

3.

別の例を挙げると。450円の山菜そばがとてもおいしく、これなら600円払ってもいいな、と思っても、実際には定価分しか払わないだろう。そして、味、分量、店の雰囲気、調理の速さなどいずれも同等の店が隣にできて、そこの山菜そばの定価が380円だったら、多くの人が店を乗り換えるのではないか。

その結果、最初の店の山菜そばの定価が380円に値下げされた場合、私たちは最初の店に対して「事業仕分け」をしたに等しいのではないか。

その山菜そばに600円の価値があると思うなら、600円払うべき、なのか? 払いたい人は、どうぞ、払っていただきたい。だが、圧倒的多数の人々は、自分の財布の話になると、実際にはそのような行動を取らないはずだ。なのに、支払いが間接的になったりすると、コロッと態度を変えるのは、どうしたわけか。

まあね、国民は自分が払った税金の使途を、自分で決められないからね。気に入らないあれを削れば、こっちの予算を増やすことは可能なはずだ。だから、この予算増額の要望は、決して増税の覚悟を伴うものではない、といったことになる。

妄想アイデアだけど、納税者のガス抜きとして、所得税の一部を「この事業に使ってほしい」と指定できる『使途指定納税制度』があったら面白いかもね。制度を利用する人も少ないだろうし、上限10万円くらいなら、大混乱は避けられるような気もする。どんな指定が人気になるだろう? 案外、国債の償還かもな。

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