趣味Web 小説 2010-08-19

コアメンバーに必要な資質とは

1.

大事になるのは、GIGAZINEはどういうメディアでありたいのかという「理念」を示すことである。大風呂敷でもかまわない、夢物語でもかまわない。何を目指しているのか、他のニュースサイトと何が違うのか、どういうレベルを目指しているのか、記事の質とは何か、どういう観点・どういう価値観を重視しているのか、何を伝えたいのか......それを実現するのに一緒にやっていく「同志」が必要だ、という流れで人材を集めるべきだと思う。

こういう意見は耳あたりがよいけれども、個人的には「どうかな……」と思う。ふだんの仕事でも、ボランティア活動でもそうなんだけど、コア中のコアの部分で同志を募るなら話は別かもしれないが、コアメンバーが共有すべきなのは、じつは単純で具体的な目標であって、「理念」ではないと思っている。

というのは、話を抽象化すると「総論賛成、各論反対」の罠が待っている。これはもう、本当にちょこっと抽象化しただけで、そうなる。

2.

町内会なんてのは、ふだん今年の当番役員しか顔を合わせない。たまに掃除の日とかで小さな班の中の人同士は顔見知りになるけれども、隣の班の人とは分断されている。役員になるのは10数年に1回でしかないので、10m先のアパートに住んでいる人なのに、たまたま当番になった人同士しか、お互いを知らない。大きな祭りになると、作業の合理化が進んでいるから、役員だけで「仕事」は済んでしまうし、祭り会場には広い地域から人が集まるので、誰が誰だかわからない。地域の親睦を深める役には立っていないんじゃないか?

「だから何かやろう」という話が出ても「そうですね」「賛成です」でおしまい。飲み会で2時間も3時間も話が盛り上がることがあっても、何ひとつ決まらない。次の会合で決めようとしても、議論百出で振り出しに戻る。どうにもならない。

イメージは共有されているわけだ。半径20mくらいの小さな地域で、家族連れで参加できるイベントをやって、お互い顔見知りになりましょう、と。玄関先に「こども110番の家」なんてステッカーを貼って、「うちにご家族の方がいないときは、一人で留守番をしないでこども110番の家を利用してください」なんて回覧板を回したってさ、実際、利用されないじゃないか。信頼・信用の基盤なしに、制度だけ形式的にはじめてもダメだ。だからまず、顔を合わせる場が必要だね……。でも、そんなことをいっている間に1年が過ぎ、役員は交代してしまう。翌年もまたゼロから議論が始まる。

私の知っている例だと、結局、5年が空費された。そして6年目、たまたま順番で役員になっていた人が、娘の通う幼稚園から「今年はイモ掘り+焼きイモ大会をやりません」という通知をもらって大いに悲しみ、「だったら町内会でやる!」とブチ上げたところからドラマが始まる。パパ友、ママ友ら数人をコアメンバーとして「焼きイモ大会をやる、絶対やる、娘の5歳の秋は1回しかないんだ!」といって実現に向けて動く。場所の問題、煙の問題などを解決し、実現の目処が立ったところで役員会にて大勢の協力を募った。「理念」が語られたのは、その段階でのこと。その内容は、昨年までの議論と大差なかった。

「なるほど、物事というのは、こういう手順で進めるのか」と私は思った。

いくら「理念」を語っても、それをひとつの形に具体化することはできない。まず誰かが、ひとつの形にしてしまうことが必要なんだな。

これって、いろいろなソフトウェアを見ていても、同じようなことを思う。改良を重ねても、理想に大きく近付くことはなくて。結局、根本的にインターフェースの異なる別のソフトが彗星のごとく登場し、定番の座を奪い取っていく。そういうことが、よくある。後付けでこれを「理念」の違いだといっても、それらしく聞こえはするのだけれども、実際はそうではないのではないかと思うのだ。

問答無用で「焼きイモ大会をやるのだ」と決めた。それは偶然だよ。運命とか天啓といってもいい。多分、議論を通じて全員が納得する形で「目的達成の手段としては、焼きイモ大会が一番いいね」決めるのは無理だ。しかしそうして始まったプロジェクトが、役員会を一瞬で通過した。「素晴らしい」「頑張りましょう」「成功させましょう」「異論はございませんか? 無いようですので、提案は承認されました」……5年間の議論とは、いったい何だったのか。

3.

GIGAZINEはGIGAZINEでよい。「アレをやるんだ」ということ、それ自体がプロジェクトの目的だろう。2004年頃のGIGAZINEが編集長の理想であるならば、「それを現代に再現し、拡大再生産する」で十分だ。

「理念」には賛同するけど「GIGAZINE」は否定する人、なんかが集まってきても、ロクなことにはなるまいよ。あそこに問題があるから、ここに問題があるから、だから「GIGAZINE」はダメなんだ、なんて自己否定はさ、もっと後になってからすればいい。軌道に乗って安定したはいいけど、なんか殻に閉じこもっちゃってる感じだね、つまんないね、みたいな状態になってからでいい。

外にいると、だいたいどんなプロジェクトもつまらなく見えるんだよ。「焼きイモ大会をやりたい」という話を聞いたって、ふつう、「それはいいね!」と人がワーッと集まってくるなんてことはない。「ふぅん、まあ、個人的に検討するのは自由なんじゃない」てのが、一般人の反応。

だけど、コアメンバーは「よし、やろう! 何が何でもやろう! どんな困難にも挫けずやろう!」と高い士気を保った。あれくらいでなけりゃ、5年間(あるいはもっと以前からの)の停滞を破って焼きイモ大会を実現することなど、できはしないのだな。とすると、私はこのまま、何もなさずに死んでいくのだろう、と思った。まあいい、それは役割分担だ。お手伝い要員だって必要さ。

ともかくね、「理念」を語れば、その手段が「GIGAZINE」である必然性は怪しくなる。それはそういうものなんだ。どうしようもないことだよ。そして、外部からはどう見えているにせよ、編集長は、GIGAZINEは攻めの段階にあると認識しているわけだ。社内に評論家は必要ないということだね。それで討ち死にするなら、それもまたよし、という覚悟だろう。

もちろん私たちがGIGAZINEを批評するのは自由。だけど、編集長が同志を募るにあたり、「理念」を語らず、「GIGAZINE」を特別だと思ってくれる人という条件を掲げたのは、個人的には「正しい」と思っている。

多くの会社が「志望動機」を問うのも、つまりはそういうことなんじゃないかな。抽象的な「理念」への共感なんて、あまり意味はない。話を相当に具体的なところまで落とさないと、「この会社に入りたい」理由にはならない。これは非常に難しい。難しいが、少なからぬ企業は、それができる人を切実にほしがっている。

多分、面接官も正解は持っていない。それでも、納得のいく答えと、上滑りして聞こえる答えの区別は(ある程度)できる。そういうものだと思う。

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