趣味Web 小説 2010-08-21

ゲーム産業の保護はダメな政策

1.

経済学がかれこれ250年ほど論敵としてきたのが、こういう発想。まあでも、説得するのは難しいよね……。みんな、自分の仕事を変えたくないわけだから。リンク先の記事はゲーム製作者の方なので、「国内のゲーム製作産業を興隆させるには」というのが大前提になっている。そこに思考の枷があるわけ。

中国や韓国はのネットゲームはバリバリに保護されている。国の投資が入っているし、税金も優遇されているし、他国産のゲームの営業は制限されまくっている。その上でパクリ放題。コピー大会。しかも日本にはそれらが大量に流れ込んでいる。

これは、中国、韓国がヒドイってのもあるが、まず日本が駄目過ぎる。

ネットゲームというのは外貨獲得手段として物凄く有効だ。かの国では既に映画の輸出より利益を出している。

なぜ、自国の国益として産業を保護しない?2次エロ規制してる場合じゃないだろう。

  1. ゲーム産業がみんなに利益をもたらすかどうかなんて、わかったものではない。だから、ゲーム産業に投資するのは、国ではなく、民間の銀行であるべきだ。特定の産業に政府が投資するとき、その裏で国民がリスクを負っていることを忘れてはいけない。バカな投資をしているのが銀行なら、人々は預金を引き上げることができる。だが政府なら? みな逃げようがない。税金の取られ損になるだけだ。

    民間なら、より儲かりそうな投資先があれば、そっちへ投資する。ゲーム産業よりいい投資先があるなら、国策なんてものに縛られてゲーム産業への投資を続けたりはしない。だから自ずとよりよい投資先が選ばれていく。もちろんバブルとか失敗もするけれど、平均すれば世論に縛られた政府よりマシな打率になる。

  2. 公共財への投資は、政府がやるしかないだろう。だが、ふつうの産業に政府が投資するなんてのは、基本的に間違っている。税金の優遇も同じ。優遇することが、国民全体の利益になるなんて、どうしてわかるのか。減税が産業振興に有効なら、全産業に対して減税をすればいい。実際、経済学者の少なからずは法人税の撤廃を主張している。再分配は、所得税の累進課税、または定率税+定額給付でやるべきだ、と。

  3. 他国産ゲームの流通制限は、消費者の選択肢を奪う愚策。もし輸入ゲームが素晴らしくて国産ゲームが駆逐されるなら、その国は少なくとも現時点ではゲーム作りには向いていないということだ。それなのに、消費者の幸福を奪い、苦手な産業に労働者を縛り付けてしまうのは、「我が国にも、いま、ゲーム産業が存在していなければならぬ」という思い込み以外に説明がつかない愚かさだ。

    前段で「素晴らしい」と書いたが、これは価格を含むことに注意。質が高くても、それ以上に値段が高くて手が出ないなら、消費者にとってそれは十分に素晴らしい商品ではない。品質と価格の調和が取れていなければならぬ。

  4. パクりとコピーについては、それが公正な競争の条件を満たさないようなもの(法的に保護されるべき権利を侵害しているもの)であるならば、粛々と対処しなければならない。やった者勝ちではいけない。まず国内市場の流通を厳しく監視し、海外市場の規制・監視のため国際的な協力体制を強化していくべきだ。

……というわけで、リンク先の記事が羨ましがっている中韓の政策は、じつはどれもダメな政策であって、日本政府が同じようなことを(あまり)やっていないのは、正しい。その結果、国内のゲーム産業が滅びるなら、滅びればいい。何か他の、もっと儲かる仕事をする方が、個人としても社会全体としても、経済的には正しい選択なんだ。

2.

ようするに、「特定の産業の保護」は国全体の経済に対してはマイナスの影響がある。だから、どんな分野であれ、特定の産業を政府が保護するのは間違っている。

日本の農家は生産性が高い。しかし比較劣位にある。だから日本の農家の過半は、廃業して他の仕事をした方がいい。じゃあその、他の日本が比較優位にある仕事とは何か。それは「農家より割にあう仕事」である。もし将来、食料不足の時代になれば、必ず食料価格が高騰し、農家は魅力的な仕事となり、後継者不足は自ずと解消される。

農家やってるより工場で働いた方がマシだな、と人々が思うような状況があるなら、ゴチャゴチャ考えずに工場で働いた方がいい。大勢がそうして、シンプルに仕事を移っていくことができれば、自ずと個人の経済状況も、その総和としての国家単位の経済も、改善される。客観的には、より幸福な状態になる。実際、日本の高度成長は、労働力が農業から工業やサービス業へ大規模に移動することで実現されたのだ。

だから、税金を注ぎ込んだり消費者の自由を奪ったりして特定の産業を保護するのは、全体として有害だ。市場に任せておけば自ずと進む、時代や状況に応じた経済の変化を邪魔するものでしかない。国民の予想や、為政者の分析が、市場より早く正確に経済の先行きを見通せるなら、多少の地均しは可能かもしれない。しかし実際には、必然的な変化を妨げるために大金を浪費するだけ、というケースが極めて多い。

企業というのは、法律がなければ人権侵害すら利益追求の手段とするので、それは規制しなきゃならない。だが、現実の規制の多くは、競争を頭ごなしに抑制したり、消費者の選択肢を政府が勝手に絞り込むような内容となっている。それは「いまある世界への執着」や「昨日までと同じ仕事をしながら、生活水準だけは上げていきたい」といった無茶な願い、「まじめに商品を選ぶなんて面倒」といった国民の声を反映したものだ。

民主主義にしたがって経済発展の足を引っ張っているわけであり、自業自得だから仕方ないともいえる。ま、経済的に豊かになることと幸福の増大はイコールで結べないから、こうなるんだろうな。ただ、少なからぬ規制はノイジーマイノリティの声を反映したものなので、総論としては繰り返し規制緩和が叫ばれるわけだ。

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