趣味Web 小説 2010-09-12

市場を活かす規制、ダメにする規制

自由市場の効率性を担保するのは、消費者の「選択しようとする意思」にある。また自由な市場には、消費者が真に望むものを提供する機能もある。

営利企業を野放しにすると、「消費者を騙す」「情報を隠す」「人権をないがしろにする」といった手法がまかり通る。いずれも市場を自壊させる行為だが、倫理観に訴えるのは愚策。適切な規制により、自ずと市場が正しく機能するよう導くべきだ。消費者に判断基準を与えること、労働者の人権を守ることを義務付けるのは、正しい規制だ。

他方、消費者が何も考えなくてよい状態を作ろうとする政策には反対である。JAS法やJISマークなど、良品を分かりやすく示す施策なら大歓迎だが、「こんにゃくゼリーの硬さに基準を設け、規格外の製品は販売を禁止する」といった、消費者の選択肢を行政が予め絞り込んでしまう施策は受け入れ難い。消費者が「選ぶ」必要がなくなれば、市場は死んでしまう。

とはいえ、高リスク商品を消費する自由を単純に認めれば、外部不経済が生じる。そこで「メーカーに事故賠償の保険加入と、保険料の価格転嫁を義務付け、保険会社が商品のリスクに応じて保険料率を上下させる」といった施策が考えられる。こうなれば、商品価格はリスク発現時の社会への影響を加味したものとなり、公平な競争になる。

現在の食品市場では、餅や飴(窒息)、生野菜(食中毒)などに特権が与えられている。既に市民権を得ている危険食品なら流通を許可され、危険が発現した際の費用を社会に押し付けてもよいが、新たな危険食品の登場は断固として認めない、といった考え方には与しない。

補記:

ゆっくり健康を蝕むような要素(発がん性)などについては、保険が機能しない可能性があり、流通規制もやむをえないかもしれない。しかし原理的には「発がん性物質の含有が表記され、発がん性物質の存在が価格に反映されているならば、消費者の選択に任せてよいはずだ」と考える。

実際問題としてはいろいろ難しい点があるだろうが、外部不経済を圧縮し、可能な限り市場の選択に委ねる領域を拡大していく方が、自由で楽しい社会になると思う。

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