趣味Web 小説 2010-09-16

(圧力+やりがい+賃金)-労力=労働意欲

内容のない話をつらつら書く。

ここで「働く」が賃金労働を意味しているとして、「現金収入が得られる」の他に、特別な意義があるのかどうか、という話題。はてブなどでも話題になっていた。

もし何の苦痛もなく、楽しいばかりの仕事があるならば、それはレジャーとして成立するはずであって、「お金を払ってやらせてもらう」ということになっても不思議はない。さすがにそのような仕事は珍しいが、存続しているボランティア活動の多くは、「苦労」と「やりがい」がバランスするので、無給でもなり手が途絶えない。ニューヨーク市長のブルームバーグさんは、散財するばかりで金銭的には大赤字だが、「やりがい」が大きいので市長を続けたいのだそうな。NGOの支援者などにも、こういう人は割といる。

しかしボランティアの希望者が多すぎて困る、なんてことは滅多にない。人それぞれ「お金」の価値が異なるように、「やりがい」の感じ方も違っている。同じ労働をするのでも、「お金」や「やりがい」を大きく見積もる人は喜んで働くが、逆の人はずーっと不満顔である。そしてフッと辞めてしまったりする。

(やりがい+賃金)-労力・苦痛=労働意欲

私は、こんな風に考えている。やりがいも賃金も苦痛も、人ぞれぞれ。状況にも大きく左右される。客観的な指標は作り難い。貧しい人にとっては、賃金の価値は大きい。より大きな消費を強く望む人も同様だ。

phaさんは自分が望む消費水準を実現する方法として賃金労働以外の選択肢を持っている。だから働かない。これは別に珍しいことではない。年金が支給されている70歳以上の老人の過半は、労働意欲を失っている。たとえ働き口があっても、賃金労働をするつもりはない、ということだ。家事も買い物も「仕事」だから、みんな「仕事」はやっている。でも、賃金労働はしない。

遊んでいてもお金が手に入るなら、それは嬉しい。管理業務を完全に委託してアパートや駐車場を経営するといった資産運用なら、老齢になったからといって、まず引退などしない。とすると、老いて足腰が弱って、年金がもらえて、といった条件が重なると、労力と対価のバランス感覚が変化するのだろう。

ちなみに年収が1000万円を超えるような人の場合、70歳を超えても労働意欲は旺盛なのだという。それくらいの対価があるなら、老骨に鞭打っても働きたいと思う人が多いわけだ。60歳代だと年収300万円でも労働意欲は高いそうで、年金が人の心理に及ぼす影響は大きいのだな、と思う。(この項は雑誌で読んだ話だけどボンヤリした記憶で書いてるので話半分に読んでください)

まあ、数十年働いてきて、自分の稼げる金額というのは、だいたい分かるわけだ。先に70歳以上の老人の過半は「たとえ働き口があっても、賃金労働をするつもりはない」と書いたが、そこには、「どうせ時給700円でしょ」という諦めが込みになっている。

phaさんは31歳だそうなので、労働意欲の高い世代に属する。若く健康な者は、賃金労働の苦痛に比して、賃金に魅力を感じることが多い。人は自分の選択を正義に置き換えたがるので、多数派の選択は社会的な正義となり、少数派の選択を社会悪と規定されることがままある。賃金労働はその一例であり、現状、働かない選択のデメリットは大きく、ふつうは働く方が割に合う。少なからぬ人々は、生活云々より、まずその圧力がつらいから、賃金労働を希望するようになる。

(社会的圧力+やりがい+賃金)-労力・苦痛=労働意欲

先に挙げた式を修正すると、こうなる。主夫には社会的な労働圧力が無視できない水準で存在し、専業の維持が精神的に難しい。税制の優遇措置によって推奨さえされてきた感もあった主婦も、割合が減るにつれ形勢が悪化しつつある。夫の稼ぎが少ないのをなじる妻が共感されなくなり、「だったら、働けば?」と真顔でいわれるようになってきた。

まあこの社会的圧力というのも、気にするかしないか、個人差は大きい。phaさんのように「それが何?」とキャンセルできるなら、賃金労働に従事する動機付けにはならない。多数派というのは残酷だから、それをまた「社会性の欠如」などと規定してphaさんを攻撃する。人間の自然な心理の帰結とはいえ、虚しいことだ。

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