趣味Web 小説 2010-09-15

ネット投票に期待すること

現実味を軽視して大雑把に書く。まあ、それはいつものことだが……。

1.

私は「選挙」で自宅投票やコンビニ投票を可能とすることには賛成しない。現行の管理水準を確保するなら、コストがメリットに見合わないと考えるからだ。しかしネット投票には別の期待を持っている。

ICタグ付の住民カードで個人認証する程度の管理水準で、全有権者を対象としたアンケート調査として、ネットを利用した自宅投票やコンビに投票を利用できないか。政治の仕組みを直接民主主義に寄せたい。年2~4回くらいの頻度で、3~5の事柄について高い投票率で国民アンケートが実現すると、政治と民意の距離が縮まると思う。

税制や金融政策などは、問題を個別に切り出して意見を募ることに疑問がある。また経済問題は「国民が求める政策」と「よい結果」の重なり具合がいまいちであることを示す研究が多々ある。したがって、具体策は政治家と専門家に任せて、結果の良し悪しを選挙で審判するのが妥当だろう。

しかし「脳死移植」「夫婦別姓選択制」「女系天皇の是非」など、人々の意識が議論の中軸に据えられている問題は、国民に直接、意見を求めた方がいいと思う。また、制度そのものは議員が決めるべきだとしても、「さじ加減」の部分は、国民に問うべき場面が多いのではないだろうか。

2.

正直、政党政治にはうんざりしている。とはいうものの、先に述べた通り、多くの問題は経済を介して連関しており、個別に国民の希望を叶えていくのはまずい。だから政党選択という大雑把な選挙の仕組みにも妥当性はあると思っている。それでも、地元で立候補した数人から、所属政党で候補者を選ぶのは、つらい。

では具体的にどのような選挙制度を望んでいるのか……。

まず、死票の多く出る選挙方式には賛成しない。また国政選挙が地域代表制を採る理由についてはいろいろ説明があるが、小学生の頃から現在に至るまで、私は納得できずにいる。いろいろな候補がいていいだろう。地域代表も階層代表も職能代表も、等しく全国区で戦ってほしい。

というわけで、「全国区(のみ)」がいい、と思っていたりする。学識者のために比例代表並立制としてもよい、とは思う。選挙活動は選挙公報、所信表明用ウェブサイト、街頭演説に限定し、ポスター、チラシ、名前を連呼する選挙カーは禁止することで立候補の経済的な敷居を下げるのはどうか。

政治が直接民主主義に寄っていくことで、政策志向への転換が起きれば、議員単位の判断が重視されるようになると思う。間接民主主義のメリットを必要最小限に保持しつつ、実質を直接民主主義に寄せていくことができないか。

3.

無茶をいうなら、議員なんて「抽選で選ばれた国民」でもいいんじゃないか、とさえ思う。裁判員制度のように、専門家の助言を受けつつ、国民の意思を率直に政治に反映させていく方が、国民の満足度は高まるのではないか。専門職としての「政治家」は、助言者に徹した方がよくはないか。

大臣は組織のトップなので、まあ、そういうわけにもいかない。しかしこの問題は、議院内閣制をやめて、大統領制にでもすれば解決できたりはしないか。ちなみに日本の金融政策などは、以前から最高意思決定機関のメンバーに、素人が任命され続けている。優秀なスタッフから上がってきた資料と説明をもとに、常識や生活感覚を活かして政策を決めているのだそうな。

これを知ったときは愕然としたのだが、「なるほど、それで日銀の金融政策は庶民の常識的な感覚に沿っているのか」と納得もした。世界的に金融政策だけは「庶民感覚に従うと過つ」という経験則があり、それゆえ金融政策を司る中央銀行は、民意を反映しやすい国会や政府から一定の独立性を持たせることになっている。だが、日本では政府が世論から遊離して、日銀が民意を体現している。

政治が国民の意志と切り離されていていいはずがない。国民が判断を誤ったら、その痛みをフィードバックして、新しい判断を促すのが基本線であるべきだ。政治家の善意は理解するが、安倍内閣以降、歴代の政権は民意に反する政治を続けて次々に倒れている。

民主党は野党時代、庶民の低金利への不満とインフレ恐怖を利用して、与党の推した金融緩和に積極的な日銀副総裁候補を参院不同意で葬った。ところが、いざ政権をとって参院選を終え、3年間の選挙空白期間を迎えたなら、今度は日銀に緩和圧力を加える側に回っている。いつまでこんなことを続けるのか。……。

Information

注意書き