趣味Web 小説 2010-10-08

大企業の「幸せな解散」は、なぜ難しいか?

自己解決した話題。「解決編」が正しいかどうかはわからないが、自分の中では疑問が解消されてしまったので、それ以上、調べる気がしない。

1.問題編

松屋は銀座店の底地を9000平方メートル所有しており、この超一等地の時価は2000億円を下らないと見られている。つまり松屋は、時価ベースでは2000億円以上の資本を百貨店事業に投じていることになる。しかしながらそこから得られるリターンは、ほぼゼロだ。松屋のビジネスは、恐ろしく非効率なのである。

松屋の時価総額は現在、たったの300億円ほどしかない。仮に松屋の買収に500億円をかけたとしても、企業を解散し資産を売り払ってしまえば、投資は容易に回収できる。金融機関には借入金を返済し、土地の売却益にかかる法人税を払い、さらに社員が一生暮らせるほどの退職金を払ったとしても、十分におつりがくるのである。これは「幸せな解散」と呼べるはずだ。

私が松屋の社員で、小屋さんの試算が正しいなら、会社の解散に大賛成だな。社員全員に宝くじが当たったようなもの。今すぐ社員みんなで自社株買いして解散すべき。働いて赤字を出し資産を食い潰していくなんて、道楽に近い。仕事が好きなら次の職場を探せばいい。給料を気にする必要がないので、選択肢は広い。

だけど、実際にそうして「社員みんな仕事をリタイアして楽しく暮らしましたとさ。おしまい」と大企業が大団円を迎えた話は記憶にない。小さな商店や農家なら、先代から受け継いだ店や土地を売却して悠々自適の生活へ……という例を知っている。どうして大企業は、そのようにできないのだろうか?

2.迷走編

集団が大きくなると「社会」化が進み、現実的な本音より、教条的な建前が勝ってしまうのかな。人が増えると、その場の状況に応じた柔軟な対応が難しくなるという場面は、しばしば見られるように思う。会社を解散して得をすることはあまりないし、常に解散という選択肢を睨みながらの会社運営では、士気を維持するのが難しいだろう。だから一般論としては、解散という選択肢は考えない方がいいのかもしれない。

もしくは、大企業だと資産の配分基準がまとまりにくいのかも。「若い人ほど、会社が消えることによる逸失所得が大きい」ともいえるが、「若い人が一生遊んで暮らすという前提はいかがなものか。むしろ勤務年数に応じて配分すべき」とか、「現在の年収との連動も必要では?」とか、「正社員以外はどうなるんだ」とか、自分に都合のいい利益配分を実現する理屈は、いろいろある。大きな組織ほど、これは難しいだろうな。

あと、引用した事例については、単純に小屋知幸さんの見積もりが間違っている可能性も全くないとはいえない。例えば、松屋は1919年設立なので企業年金の受給者が多く、その債務を引いたら遊んで暮らせるほどの金額は残らない……とか。

3.解決編

自営業の場合、労働者=資本家だから円満に解散できるけど、大企業はたいてい株式会社で、労働者と資本家が別々なので、従業員は解散に抵抗する。従業員が解散の利益を得るべく株式を買い集めれば、途端に株価は上昇し、結局は既存の株主が解散の利益を先食いする結果となる。

企業の解散に利益があるなら、必ず市場原理が働く。つまり、解散による粗利益から手間賃を引いた残額がゼロになるまで、株価は高くなるはずだ。現在の株価は「会社の解散はない」という前提に拠っている。実際に解散へ向けて動き出した途端、株価は急上昇するだろう。

社員と株主が別である以上、株主ならざる社員たちは企業の解散など望むはずもない。株式会社の社員の場合、企業が解散しても資産は株主の方へ行ってしまう。だから企業を存続させて職にしがみつき、資産を食い潰すのが、社員にとっては合理的だ。非上場企業であっても、株式が社員に平等に分配されているはずもないから、話は同じだ。

社員たちが会社の解散を企図してこっそり株式を買い進めるのは、あまり現実的ではない。どこかから情報が漏れて、株価がグンと上昇することになるだろう。「株価の上昇=解散の利益の既存株主への移転」であり、遊んで暮らせるほどのお金が残るわけもない。

ところで、株主が自分たちの利益だけ考えて企業を解散するのは、失業の不利益を外部経済に押し付けることに他ならない。したがって、資産の処分を当て込んで、今後数十年は社員を食わせていけるジリ貧の企業を解散することは、強く強く社会に抑圧される。が、これには反論がある。

ジリ貧の企業を解散した利益は、新しい投資や消費に向かい、結局は新たな雇用を生むはずだ。企業や産業の新陳代謝を促進することで経済成長率が高まり、雇用が逼迫し、労働条件が改善されていく。そう考えれば、究極的には労働者にとっても利益があるはずだ、というわけ。

しかしその場合、マクロ経済は成長しても、個人の人生のリスクは高まる。民主主義的に通りにくい意見だろうな。多くの人々は「安心」に大きな価値を感じている。リスクを取ること自体にきわめて大きな心理的な負担があるので、客観的な金銭的得失がプラスになるだけでは、説得できない。そして、企業の「幸せな解散」を促進することで実現できる経済成長の果実は、「安心」の縮小分より小さいのだと思う。

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