趣味Web 小説 2010-10-24

受益者負担で駅舎を改良できないのか

1.

昨日に続いて小山駅の中央自由通路について。

中央自由通路など作っても、建設費をペイするほどJRの利用者が増えるわけはない。だからJRは、改札口の統一を認めることを事業参加の絶対条件とした。

2.

ところで、どうして行政が税金で中央自由通路など作るのだろう。小山市には、小山駅にエレベーターを設置してほしいという要望が繰り返し寄せられている。これは東久留米市でもそうだった。東久留米駅には以前からエレベーターがあったが、全ての入り口にはなかった。私が転出する頃にようやく、最後の1基の予算が通ったんじゃなかったか(少なくとも現在はエレベーターが完成している)。

東久留米駅のエレベーター設置問題は、私が西東京市に転入した頃から東久留米市議会の議題になっていた。しかも反対派は存在しなかった。ならばどうして、という話なのだが、ようするに優先順位の問題だったのだと私は解釈している。でも議会って、そういう風には議論しないんだな。議題Aと議題Bを関連付けない。別個に是非論を展開していく。だが税収は決まっているわけで、自ずと予算の規模は制約される。だからより優先順位が低いと判断された事業は「問題」を指摘されて先延ばしになるのだが、奇妙な話だ。

そりゃAとBに直接の関連はない。どちらも「いずれ実現できたらいいね」という話ではある。が、今年の予算をどうするのかという観点からは、両者の比較検討を「しない」なんてのはナンセンスじゃなかろうか。それでいて、何かというと「ビジョンが見えない」という言葉が飛び出す。無内容な批判だ。現在のような議論の仕組みでは、ビジョンなんか示しようがないだろう。

補記:

ひばりヶ丘駅は西東京市、東久留米市、新座市の市境に近く、ロータリーのある南口では西東京市議、東久留米市議らが朝立ちをしていた。その中に熱心に活動報告している東久留米市議がいて、そのビラなどで東久留米駅のエレベーター設置問題に興味を持った。

3.

小山駅のエレベーター設置が進まないのは、ひとつには費用の問題ゆえだった。バリアフリー法対策としては、車椅子対応エスカレーターで最低限の基準はクリアされる。これは既に小山駅東口に設置済だ。そのため、JRはエレベーター設置の費用負担に消極的だ。議員は憤慨するが、怒って解決する問題か。

税金で何かを作ろうとすれば、やたら時間がかかる。それはそうだろう。議会を経由しているので、何となく「不便だから何とかしろ」みたいな感覚になってしまいがちだが、実際には、「市内で行政の助けを必要としている他の多くの人を差し置いて、まず自分の望みをかなえるのが正しい」と主張しているに等しい。自分の要望を通すには、予算獲得合戦の結果、今年も涙を呑むことになる人を納得させなければならない。そのためには、「自分たちこそ何年も我慢を強いられてきた」という実績を積まねばならぬ。

要望それ自体にはみなの賛同を得られても、その緊急性、重大性の程度があまり高くなければ、我慢積み上げ戦略を採るしかないのだ。しかしそうまでして税金で作ることにこだわる意味って何なのだろう。

もし小山駅の中央自由通路にSuicaで100円払うと開く有料ゲートを設置してよければ、JRが勝手に自由通路を作ってくれたかもしれない。Suicaで100円払うと動くエレベーターでよければ、とっくの昔にエレベーターだって設置されていたんじゃなかろうか。

逆にいって、それで赤字になるようなら、実際には税金の使途として無駄だったということにならないか。中央自由通路によって商業施設が活性化するなら、商業施設の寄付によって建設してもいい。だがそれも結局は、商品価格への上乗せ分に化けるのだから、究極的には消費者の財布から建設費用が出ることに変わりはない。ならば、通行人から直接取っても話は同じだし、よりシンプルな構図になる。

だが、実際にそうした有料サービスが登場すれば、事業の収支が出る以前に、きっと頭ごなしの批判が殺到するだろう。直接に建設費を負担するのは嫌だけど、税金経由で負担するならいい、という感覚は何なのか。通りたい人が自由にお金を払って通ればいいだけの話なのに、有料通路や有料エレベーターという発想そのものが攻撃されるとすれば、「そういうものにお金を払う習慣がない」というだけの理由ではないのか。

公共財なら税金で整備するしかないが、小山駅の中央自由通路やエレベーターは対価を払わないものを排除可能な準公共財であり、受益者負担でも成立するはずだ。もし利用者が殺到して移動に支障が生じるほど混雑するなら、競合性すら認めることができ、準公共財ともいえなくなる。

4.

小山駅のエレベーター設置に時間がかかっている他の理由のひとつは、「ビジョン」に関係している。場当たり的にエレベーターを設置するだけではダメだ、という考え方が市議会の議事録に何度も登場している。それで、中央自由通路事業と関連付けて一体的に進めるのだ、といって何年も空費することになった。これは、一時しのぎのことに税金はかけられない、という「税金ならではの制約」の問題と捉えることもできる。

利用者負担なら、「今すぐエレベーターがほしい人」がどれだけいるか、という整理できる。耐用年数を残してエレベーターが退役しても、誰も怒らない。使用予定年数内で利益が出ると予想できたなら、JRは即座にエレベーターを設置したはずだ。公金なら「無駄」でも、私費なら「有益」というケースがありうるのだ。

5.

バリアフリーの実現は、法律の定める最低限のラインを実現すればそれでよいというものではなく……それはそうだろうと思う。

ただ、駅のエレベーターは実態として、「必要不可欠」な人より、「あれば便利」くらいの人の利用が圧倒的に多い。ならば、必要不可欠な人にだけ無料パスを発行してはどうか。バスの無料パスなんかでも、顔を見ただけで年齢や居住地の確認はできないので、無料パスの掲示が必須になっている事例がある。不注意で無料パスを家に忘れてきた場合、とくに係員に申請して認められなければ乗車は無料にならないわけだが、この仕組みが非難の的になっているという話は聞かない。この手法でOKならエレベーターの無料パス制は可能だろう。

私の利用駅でエレベーターを利用しているのは、過半が中高生。笑ってしまったのは階段を下りるのにエレベーターを使うケースで、昇降機を待つ時間が無駄なんじゃないかと。

JR成田駅西口にエレベーターが設置されたのは私が小学生の頃だった。JR成田駅は西側が崖になっていて、ビルの4階くらいの高さを登らねばならない。なのにエスカレーターすら地上3階相当の高さのフロアからしか設置されておらず、理不尽な設計だと思った。それでエレベーターが設置されたのだが、予算を絞って小型のものにしたので、高齢者と障害者専用ということになっていた。ところが、実際の主な利用者は高校生だった。

なんで中学生や高校生って、あんなに楽をしたがるのだろう。私は自分が中高生だった頃にも、高齢者と身体の不自由な人専用という掲示を無視して駅のエレベーターを使う同年代の気持ちがわからなかった。まあ、「みんな」じゃないんだよね。たいていの中高生は、大人たちと同じく粛々と階段を利用している。

うーん、ただ制服が印象的で目立っているだけで、本当は大人たちと利用率は変わらないのかな。

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