企業最大の費用は人件費ではありません。経営者のエゴです。
非公開企業の株主は、経営者であることが多い。経営者が株式の公開に合わせて強気の事業計画を出すと、株価は釣り上がり、株式の売却によって得られる金額は大きくなる。だがそれは、企業が将来の大きな利益を新しい株主に約束することだ。株式を売却して縁が切れた元経営者はハッピーだが、会社に残った人々にとっては、「利益」という名の「コスト」がのしかかるに等しい。……という話だと理解した。
株式上場とは、まず資本調達の手段であって、銀行からの借金と比較して考えることができる。わざわざ銀行から借金をして経営幹部に莫大な賞与を払ったりするか。ありえない話ではないが、珍しいことだろう。なのに、株式を上場する際には、そうしたことがよく起きる。たしかに奇妙な話だ。しかし、銀行の融資を受けられるくらいの明確な意図と計画(企業の成長に資するお金の使途)があるなら、上場は有意義だ。当然、「株式上場のコストをきちんと考慮しても銀行の融資より得なのか?」は考える必要がある。
いまのところ、長い目で見ると、銀行は少しずつ押し負けているそうだ。社会的な責任とやらを背負わされ保守的な判断に傾く銀行よりも、自分だけの責任で参加する者の多い株式市場の方が判断が甘くなりがちなので、企業としては都合がいいということか。
樋口さんが、「経営者のエゴ」の話を理解するための準備として、「株式の売却益とは何か」を説明するために挙げたホテルの例を読み直してみる。
こうした事例から樋口さんは、1)株式の売却益とは利益の先取りである、2)足元の利益が増えると株価も上がる、よって上場企業では、従業員が頑張って企業の利益を増やしても、ロクな見返りを得られず、走らされ続ける、と説く。
気になる点がいくつか。
念のため。会社が利益を出したなら、従業員にも還元しないとね……という話は、今回、関係ない。樋口さんらは年2.3億円の利益を実現したそうだが、その金額は、売上げから従業員へのボーナスなどの経費を差し引いたもの。経営が改善されたなら従業員の給与も伸びるのが普通だが、その人件費増は既に経費に組み込まれているはずだからだ。
株価が利益ゼロ水準まで上昇するのは、市場が機能している証拠。
実際の株価は、足元の利益と比較するとマイナス水準に突入していることも少なくない。だが、それは資本主義を牽引するエンジンのひとつとなっている。起業家の楽天的なマインドが新しいビジネスを生み出していくように、株主の楽天的なマインドもまた、保守的な経営者に変革を促す力となる。
樋口さんは、自分にできなかったことは他人にもできないと決め付けて、「新オーナーが60億円の投資を回収するためには、従業員の待遇を悪化させる他ない」と考えた。けれども、ふつうは人件費を圧縮すればサービスを維持できなくなる。某ホテルのケースでは、新オーナーの施策は(樋口さんの言葉を信じるならば)樋口さんの予想通りであり、従業員は不幸になったわけだけれども、これには別解もありえたろう。
例えば、建屋の寿命を15年長くする画期的アイデアがあったとすればどうか。20年で建屋を取り壊し事業を終了するという樋口さんの前提は覆り、給料カットなしで60億円を回収できる可能性が見えてくる。現在30歳の従業員は、50歳で解雇されることなく、65歳まで働き続けられることになる。みんなが幸せになれた可能性もあるわけだ。
「俺なら今の経営陣よりうまくやれる」と自信たっぷりな人が次々に登場するのが、市場の面白いところだ。まあ、その多くは自信過剰であり、望んだ利益を得られず損をする。だが、今の経営陣がベストであり、現状以上の業績は実現不可能だという前提の正しさを、誰が保証するのか。誰にもそのような保証はできないからこそ、挑戦者に対して会社を開く。それが、株式公開のもうひとつの意義だと思う。