趣味Web 小説 2011-01-10

肩書きのイメージと実際の職務

1.

2chやはてブでは、気に食わない人が多いらしい。漠然とした意図を具体化する仕事って、そう珍しいものではないと私は思う。ウェブデザインなんかもそうじゃない? ジャンルは違うけど、私の仕事も、ちょうどそんな感じだし。

でまあ、リンク先はゲームのプログラマの募集。ゲーム開発者のインタビューなどを読むと、プログラマという肩書きの人の提案で具体化した仕様や機能が、分業体制の進んだ現代においても、まだまだたくさんあるようなのだ。同じプログラマという肩書きではあっても、業界によって、その職務範囲は違っていい。

2.

そういえば、昔、映画製作のドキュメンタリー映像などを見て驚いたのは、監督って全てを把握してるわけじゃないんだな、と。フィルムを編集している現場に、監督の姿がない。映像に音楽をつけている場面にも監督の姿がない。「えっ、そうなの!?」と。脚本を書かない。絵コンテを描かない。キャスティングをしない。衣装を決めない。カメラの位置を決めない。みんな人任せ。じゃあ、何をやっているんだ? いや、それぞれ自分でやる人もいるけど、どれもやらない人もいる。

宮崎駿監督は、何でも口出しする人。でも、『もののけ姫』のドキュメンタリーを注意して見直すと、案外、スタッフに任せている領域は大きい。サンの髪の色なんて、かなり重要そうだけど、基本的には色指定の担当者が決めていたので驚いた。監督は、気になる部分についてはしつこくいうのだけれど、だいたいどれも細かい話ばかり。例えば、色指定の方が豆の色を薄い茶色にすると、監督はその茶色の中でどれがいいかという話をする。そもそも豆の色なんてのは、黒も紫も緑も赤も白もある。まず薄い茶色(大豆か?)を選ぶというのが大きな決断。監督は、そこには何もいわない。あるいは、エボシのマントを紺色にしたのは、やっぱり色指定の方。だから、「なぜ紺色なのか」は監督ではなく色指定の方が説明するのだった。最初に監督と色指定の方が共有しているのは、「エボシはかっこいい」という漠然としたイメージと、いくつかの設定だけらしい。

たぶんゲームは業務システムよりは映画に近いものだと思う。制作意図は漠然としていて、下流工程に判断が委ねられている部分が相当に大きいのだろう。

3.

もちろん、スタジオジブリでも指定された通りに色を塗る人には、本来の職務範囲内で個人の意見を作品に反映する余地がない。毎日毎日、ひたすら指示通りに色を塗り続ける様子がカメラに捉えられていた。「着色工程」の中でも仕事の範囲は人それぞれだ。ゲームの「プログラマ」にもいろいろ区分けがあって、完成した設計書の通りにひたすらコードを書く人もいるのかもしれない。それはわからない。

そう、わからない。ですよね? その、わからないものを、あれこれ決め付けて叩く。いや、実際に、それらの批判は当たっているかもしれない。が、偶然当たっていたからそれでいい、という話ではないと思う。「もし**だとしたら」という批判は、その不確実さに対応した穏当な言葉でなされるべきじゃないか。

冤罪事件が怖いなら、まず自分が、冤罪につながる考え方に与しないこと。行間を補完するなら、なるべく善意に読み取るべき。私自身、必ずしもそのようにはできないが、「なるべくそうしたい」とは、いつも思っている。

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