趣味Web 小説 2011-01-13

国民所得倍増計画と高度経済成長の終焉(地域格差問題)

現在の日本では地方の衰退ばかりが問題視されるが、かつては都市の過密の方が大きな問題だった。それゆえ、都市から地方へ様々な分配を行う政策が、国民に広く支持された。

しかし、都市の過密を政治的に抑制したことが、経済成長率の屈折、そして1990年代以降の停滞のひとつの要因となった。都市には集積の利益とともに過密の弊害がある。この外部不経済を取り込み、市場による問題解決を図れば、集積の利益を諦める必要はなかったはずだ。

1.

1960年、池田勇人内閣は国民所得倍増計画を閣議決定した。

(1)計画の目的
国民所得倍増計画は、速やかに国民総生産を倍増して、雇用の増大による完全雇用の達成をはかり、国民の生活水準を大巾に引き上げることを目的とするものでなければならない。この場合とくに農業と非農業間、大企業と中小企業間、地域相互間ならびに所得階層間に存在する生活上および所得上の格差の是正につとめ、もつて国民経済と国民生活の均衡ある発展を期さなければならない。

(2)計画の目標
国民所得倍増計画は、今後一〇年以内に国民総生産二六兆円(三三年度価格)に到達することを目標とするが、これを達成するため、計画の前半期において、技術革新の急速な進展、豊富な労働力の存在など成長を支える極めて強い要因の存在にかんがみ、適切な政策の運営と国民各位の協力により計画当初三カ年について三五年度一三兆六千億円(三三年度価格一三兆円)から年平均九%の経済成長を達成し、昭和三八年度に一七兆六千億円(三五年度価格)の実現を期する。

(3)計画実施上とくに留意すべき諸点とその対策の方向
経済審議会の答申の計画は、これを尊重するが、経済成長の実勢はもとより、その他諸般の情勢に応じ、弾力的に措置するとともに、経済の実態に即して、前記計画の目的に副うよう施策を行わなければならない。とくにこの場合次の諸点の施策に遺憾なきを期するものとする。
(イ)農業近代化の推進
国民経済の均衡ある発展を確保するため、農業の生産、所得及び構造等の各般の施策にわたり新たなる抜本的農政の基底となる農業基本法を制定して農業の近代化を推進する。
これに伴い農業生産基盤整備のための投資とともに、農業の近代化推進に所要する投融資額は、これを積極的に確保するものとする。
なお、沿岸漁業の振興についても右と同様に措置するものとする。
(ロ)中小企業の近代化
中小企業の生産性を高め、二重構造の緩和と、企業間格差の是正をはかるため、各般の施策を強力に推進するとともにとくに中小企業近代化資金の適正な供給を確保するものとする。
(ハ)後進地域の開発促進
後進性の強い地域(南九州、西九州、山陰、四国南部等を含む。)の開発促進ならびに所得格差是正のため、速やかに国土総合開発計画を策定し、その資源の開発につとめる。さらに、税制金融、公共投資補助率等について特段の措置を講ずるとともに所要の立法を検討し、それら地域に適合した工業等の分散をはかり、以つて地域住民の福祉向上とその地域の後進性克服を達成するものとする。
(ニ)産業の適正配置の推進と公共投資の地域別配分の再検討
産業の適正配置にあたつては、わが国の高度成長を長期にわたつて持続し、企業の国際競争力を強化し、社会資本の効率を高めるために経済合理性を尊重してゆくことはもとより必要であるが、これが地域相互間の格差の拡大をもたらすものであつてはならない。
したがつて、経済合理性を尊重し、同時に地域格差の拡大を防止するため、とくに地域別の公共投資については、地域の特性に従つて投融資の比重を弾力的に調整する必要がある。これにより経済発展に即応した公共投資の効果を高めるとともに、地域間格差の是正に資するものとする。
(ホ)世界経済の発展に対する積極的協力
生産性向上にもとづく輸出競争力の強化とこれによる輸出拡大、外貨収入の増大が、この計画の達成の重要な鍵であることにかんがみ、強力な輸出振興策ならびに観光、海運その他貿易外収入増加策を講ずるとともに、低開発諸国の経済発展を促進し、その所得水準を高めるため、広く各国との経済協力を積極的に促進するものとする。

国民所得倍増計画は、「先進地域の成長はもはや限界なので、後進地域を成長させる他ない」という認識に貫かれている。

2.

1962年、国民所得倍増計画に沿って全国総合開発計画(全総)が閣議決定された。計画は、2年間の議論を踏まえ、「都市の過密が第1の課題であり、結果的にそれが地域格差という第2の課題を生み出している」と問題を整理した。

国土総合開発の意義は、昭和25年に国土総合開発法が施行されて以来、わが国の経済的および社会的諸条件に応じていくたびか変遷した。人口の圧力が強く、食糧、エネルギー等の基礎物資の不足がはなはだしかつた法制定当時においては、何よりも国内の自然資源の緊急総合開発にその意義がおかれた。つぎに、一応経済の基礎が整備され、技術革新、消費革命という形で生産力が拡充された時代における国土総合開発は、企業の合理化、近代化のための民間設備投資に見合う産業基盤の整備、主として既成大工業地帯の用地、用水、輸送力等の隘路の応急的な打開に重点がおかれた。そして、わが国経済が産業構造の高度化、人口動態の変化、貿易為替の自由化など、内外経済情勢の変化に対応しながら、高度の経済成長をたどりつつある今日の国土総合開発は、高度成長の過程において露呈された重要かつ緊迫した地域的課題の解決に重点をおかなければならない。

その地域的課題の第1は、既成大工業地帯における用地、用水、交通等の隘路が一段と激化し、とくに東京および大阪への資本、労働、技術等の集積がはなはだしく、いわゆる「集積の利益」以上に「密集の弊害」をもたらし、その弊害は生産面だけではなく都市生活者の生活面にまで及び、過大都市問題をひきおこすに至つていることである。

第2は、既成大工業地帯以外の地域は、相対的に生産性の低い産業部門をうけもつ結果となり、高生産性地域の経済活動が活ぱつになればなるほど低生産性地域との間の生産性の開きが大きくなり、いわゆる地域格差の主因を作り出したことである。

以上の地域的課題は、もはや一つ一つの局地的な問題としてではなく、国民経済的な問題として緊急に処理されなければはらない。すでに、個個の都市問題の解決のために、あるいは個個の低開発地域の開発のために数多くの計画や構想が用意されつつある。しかし、これらの計画や構想は、相互の関連および国民経済的考慮が必ずしも十分であるとはいえない。

したがつて、ここに策定する全国総合開発計画は、上記の地域的課題の解決につとめ、地域間の均衡ある発展をはかるために、長期的かつ国民経済的視点にたつた国土総合開発の方向を明らかにすることに意義をもつものである。

都市に集積の利益があることには、様々なデータの裏づけがある。だが全総は、「4大工業地帯は市場の失敗により最適な密度を超過している」という現状認識を示した。もしその通りなら、既存の工業地帯への産業集積を食い止めることに合理性が認められる。先進地域の過密を解消し、後進地域を底上げすることこそ、経済発展を実現する唯一の道ということになる。

ただ、仮に全総の経済分析が正しいとしても、「政府が介入して工業分散を行う」のは疑問だ。政府は平均的には市場より非効率なのだから、政府は「外部不経済を市場に取り込む」仕組み作りに注力し、資源の配分は市場に任せるべきだった。そうすれば、先進地域が真に過密なのか、それとも集積の利益をもっと追求できたのか、市場が明らかにしてくれたはずだ。

「それでも、所得倍増計画は成功したではないか」という声もあろう。私には異論がある。まず、所得倍増が実現されたのは、内需の拡大と緩和的な金融政策がうまく噛み合ったためだ。そして様々な格差の縮小が実現したのは、少し高めの物価上昇率のもとで完全雇用が実現され、人手不足になったことによる。(注:労働市場が十分に柔軟な場合、労働力不足になれば、職種間の賃金格差は縮小する。たいていの仕事は「誰かがやらねばならない」からだ。例えば医師の収入は、究極的には医師になるために他の職種より余計にかかるコストを相殺するだけの水準となる)

つまり、池田内閣の施政下で実現した所得倍増と、国民所得倍増計画の諸政策は、因果関係が乏しいと私は考える。経済発展のために工業地域の面積的拡大が必要だったのは事実で、産業基盤整備そのものは有意義だったかもしれない。だが、国民所得倍増計画は基本的に誤っていた。だからこそ、幸運な時期は長く続かず、後の経済停滞を招く最後の大きな一撃となった。

3.

50年後の世界に生きる私たちは、先進地域でいっそう経済が成長し、後進地域の発展は相対的に困難だったことを知っている。経済学の教科書通り、国際分業を推進し、得意分野を伸ばして苦手分野は縮小するべきだったのではないだろうか。

地域格差の縮小は戦前からの政治課題だった。経済成長は「合理的な変化」なしに実現し得ないが、人々は「自分だけは変化せずに経済成長の果実を得たい」と望んでやまない。変化が加速しても不況になっても為政者たちはテロリズムに襲われた。1887年から1892年まで(明治21~26年)、日本最大の人口を擁していたのは東京都ではなく新潟県だった。当時の日本では、稲作が基幹産業だったからだ。変化を拒絶するなら、経済発展も諦めねばならなかったのだが……。(ちなみに1886年までの人口1位は大阪府だが、当時の大阪府は現在の奈良県を含んでいた。また1887年の人口2位は愛媛県だが、これも当時の愛媛県は現在の香川県を含んでいた)

東京都と全国の年平均人口増減率

度重なる人口移動抑制策の累積により、東京と全国の人口増加率の差は戦前から縮小傾向にあった。そして1970年代、ついに東京の人口増加率が全国平均を下回った。国民の悲願が達成されたのだ。すると、たちまち経済成長率は屈折した。とくに第三次産業はキャッチアップ型の経済成長が依然として持続可能だったにもかかわらず生産性の伸びが止まってしまった。産業構造の変化は緩やかになり、大企業の顔ぶれも変化が乏しくなった。こうして、日本の高度経済成長は終った。

製造業と非製造業の一人当たり実質GDPの推移

開国以降の日本の経済発展は、10~30年という短いサイクルで基幹産業を次々と乗り換えていくこと、経済が活況を呈している地域へ大規模に人口が移動していくことによって実現された。それなのになぜ「新時代に過去の経験は通用しない」と考えてしまったのか……。それは、過密に苦しむ都市住民、過疎に苦しむ地方住民が、ともに誤った処方箋に飛びついてしまったからである。

底辺を引き上げる政策は、国民全体の幸福の総量を増やすために必要な政策には違いない。だが、それはできる限り個人への所得再分配で実現すべきだったろう。地域格差の縮小を目指し、先進地域の発展を阻害し後進地域への半ば強制的な産業分散を進めた国民所得倍増計画は、日本経済の蹉跌を象徴している。

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