趣味Web 小説 2011-01-14

ファンタジーを支持するコスト(地域格差問題)

1.

高度成長期、都市住民は人口密度の増大を憎悪した。インフラの整備が人口増に追いつかず、小中学校の校庭にはバラックの校舎が立ち並び、体育の授業にすら支障をきたす例があった。地方からやってきた人々の多くは、本当は故郷を離れたくなかったのだし、以前からその土地に暮らしていた人々にとっては、よそ者に街を荒らされたという感覚があった。水は濁り、空はスモッグに覆われ、緑が失われていった。だから都市住民は、産業分散を求めた。

だが、「多軸型国家」というファンタジーを支持するコストは、どれほど国民に理解されていたか。かつて日本国民は「狭い国土では1億の人口を支えきれない」と早合点して満州事変を大いに支持した。これが誤りだったことを、戦後の日本に生きる私たちは知っているはずである。そして20数年後、人々は「東京・大阪は明らかに過密なので人口を減らさねばならぬ」と早合点した。これも、誤りだったろう。

発展途上で経済成長を放擲し、国債残高を積み上げて将来不安に怯える日々を送るほどのコストを支払うのが正解だったとは思えない。失敗は「過密」と決め付けたところに起因している。世論に従って政府が結論を決め打ちにするのではなく、外部不経済を市場に取り込み、市場の判断を信頼するべきだった。

2.

最初の大きな試練は、1974年の狂乱物価だった。1972年6月、首都圏工場等制限法(1959年)、近畿圏工場等制限法(1964年)に続く強力な工業分散策である工業再配置促進法が制定された。この法律を推進した田中角栄さんは同月に『日本列島改造論』を出版、翌7月、総理大臣となった。1973年、田中内閣は工場立地法を制定。都市の過密、地方の貧困、公害問題の同時解決を目指し、国土の均衡ある発展を推し進めようとした。田中内閣は、これによって日本の経済成長率は高まると信じ、高度成長期を上回る経済計画を国民に示した

東京都と全国の年平均人口増減率

しかし戦前から次第に上積みされてきた工業分散と人口移動抑制の施策は、着実に効果を発揮しつつあった。1965年の証券不況において、政府は戦後初めて赤字国債を発行。1966年から1969年まで年率10%超の高成長を維持するが、1970年は8.2%、1971年は5.0%と成長率が急落する。1972年、列島改造ブームで9.1%成長を達成するも、生産性の改善にブレーキがかけながら、財政拡大と金融緩和によって高度成長を持続するのは無理な相談であった。1973年、成長率は再び5.1%に低落。翌1974年、明らかに需要が供給を超過し、年23%もの物価上昇が起きた。経済は混乱し、日本経済はマイナス成長に陥る。

原油価格の上昇はパニックのきっかけに過ぎないし、パニックそのものに長期的な影響などあるわけもない。「人々がより自分を活かせる土地へ移動する」ことによる社会の変化を妨げれば、経済成長は困難になる。そういう、シンプルな話だったのだ。だが人々は、これをオイルショックと呼び、外生的な経済ストレスにより高度経済成長が終った、と解釈した。自らの望んだ地域格差の縮小が真の原因だとは、ついに認めなかった。

3.

全総とは、国民のファンタジーを、現実に可能な範囲で実現する計画だった。国土の均衡ある発展など、実際にはありえない。石炭産業の競争力が失われた夕張で、大人口を維持しようと奮闘した結果が経済破綻だったことは、その象徴だろう。均衡を徹底的に目指せば日本経済の非効率は甚だしくなり、生活水準の大幅な切り下げが必要になる。そこで政府が実行したのは、どのような施策だったか。

  1. ナショナルミニマムの底上げを図った。とくに教育の整備には力が注がれ、学校施設と教職員数の均等な配置を実現した。その結果、県民所得と小中学生の学力は無相関になった。また上下水道をはじめとする公衆衛生の水準確保も実現され、寿命との相関も解消された。
  2. 全国各地で道路、鉄道、利水などの産業基盤を整備した。結果、全国の市町(村)の辺縁部に小さな工業団地が作られた。
  3. 大都市の雇用を抑制した。例えば、工場三法により東京や大阪に大型工場を新設すること禁止し、業績拡大中の企業の雇用を地方へ強制的に移転した。また地方への事業所の移転や新設を公費で補助し、「本来ならば最適とはいえない土地」への企業進出を促進した。
  4. 大都市の人口増加を物理的に制限した。都市部では容積率の制限や土地使用目的の制限が徹底され、高層住宅による効率的な床面積の増大を制約した。その結果、郊外にベッドタウンが広がり、通勤時間が先進諸国有数の長さになり、中距離輸送は需要過多となって通勤地獄が発生した。
  5. 既に都市に暮らす人々の生活を守ろうとした。例えば、速やかにインフラ整備を進めようとはしたが、公共料金の抑制が絶対条件となった。また、借地や借家に関する法律は借り手有利の考え方を基調とするなど、貧しい者が「都市から追い出される」ことのないよう、様々な保護策を講じた。

人の移動という目先の痛みを抑制するために、将来の経済成長率を引き下げる政策メニューが並ぶ。私は、教育環境と公衆衛生の底上げ(第1項)は強く支持する。だが、人々の自由な判断を縛る諸政策(第2~5項)にはとても賛成できない。外部不経済の内部化こそ、必要な政策だったはずだ。

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