所得倍増計画は「後進地域の底上げによって経済成長を実現する」と謳ったが、その主張には難があった。公費を投入して後進地域に生産性の高い産業を誘致することは、たしかに可能だ。しかし、同じ金額を投入するなら、集積の利益を活かす方が、より効率的だ。土地は動かせないが、人は移動できる。投資効率の高い地域をいっそう発展させ、人々の移住を促進する方が、平均的な生活水準を上げる政策としては優れている。
だから全総では、「現在の先進工業地帯は過密なので、分散した方が効率がよくなる」という論陣を張った。この考え方は、大都市の生活者に大いに歓迎された。
だが本来、人口の過密に起因する諸問題は自動的に調節されるものだ。どういうことか?
需要が増えたら、価格を上げて調整すべきだ。そうすれば、企業も人も、自ずと身の丈にあった土地へ移動する。人口密度が上昇した土地では生活費が上昇し、給与を増額しなければ人材の確保が不可能になる。生産性の高い企業・事業所のみが高密度地域に進出・生存でき、逆に低賃金しか出せない企業・事業所は、雇用とセットで人口密度の低い土地へ移っていく。
しかし、日本人はこうした考え方を敢然と拒絶した。経済成長は、「合理的な変化」によって生まれる。だが、自分に利があれば他人には気軽に変化を求める人々も、自分が変化を「強いられる」ことは許せなかった。政治は、人々の思いに応えた。
はるか彼方まで連なる低層建築の間にポツンポツンと超高層ビル群が並ぶ風景は、日本の大都市の非効率さを象徴している。新宿副都心は淀橋浄水場跡地、サンシャイン60は巣鴨拘置所跡地、汐留シオサイトは汐留貨物駅跡地だ。戦後の政治は先住民を強力に保護してきたから、人口密度が低かった頃に建設された公共施設の跡地にしか、高層ビルを建設できなかった。
農地や山林を潰して造成した住宅地に移り住んできた人々も、政治は続々と保護の対象にしていった。だから移住第1世代の人々も、半世紀を経た今、「先住民」として再開発の障害となっている。
経済成長の代償を認めない不合理は、(決してそれだけが原因ではないが)長期経済停滞という形で具現化した。人々は将来不安からますます既得権益の維持に汲々とし、不幸の連鎖は止まらない。心底から経済停滞に甘んじる覚悟があるならいい。だが、多くの人は「あいつが変わらないのが悪い」「こいつが改革に抵抗したからだ」と他人を恨んで死んでいくのだろう。
私たちは、いちばん大切な願いをかなえた。だから、2番目の願いは、かなわない。
視点を変えて、説明する。
都市には集積の利益がある。だから、企業が集まってくる。企業としては、もし人件費を含む諸経費に差がないなら、地方より都市に事業所を開設したい。
都市の過密は、なぜ生じるか。それは、集積によって生じる問題を解決するコストの負担を、多くの者が嫌がり、集積の利益のみ得ようとすることによる。外部不経済の内部化さえ実現できれば、集積の利益とコストがつりあう水準で都市の高密度化は止まるはずである。
負担増はなぜ実現できなかったか。それは、現在の住民、以前からあった企業を、(可能な限り)全て守ろうとしたからだ。限られた土地を大勢が需要している場合、その土地を最も有効に活用できる者に利用権が与えられるべきだ。しかし、生産性の低い人々も、非効率な企業も、こうした考え方を憎悪した。
政治家を動かすのは、これから街へやってくる人々ではなく、いま街にいる人々である。新しく生まれる利益を代表する者には選挙権がない。それゆえに、地方税の柱である住民税、固定資産税、事業税のいずれも、集積によって生じる問題を解消するに十分なだけ引き上げることができなかった。貧しい住人も、儲かっていない企業も、増税に大反対したからだ。
結果、どうなったかというと、ほぼ都会に進出した企業の一人勝ちになった。インフラ整備のコストを十分に負担することなく、集積の利益を享受できた。通勤地獄は、企業が集積の利益を享受し、その弊害を労働者に押し付ける仕組みの典型だ。
ただし、高度成長期以降、80年代までの人手不足の中で、次第に労働者の待遇は改善されていった。大企業が交通費の支給と住宅手当を軒並み導入していったのは、人材確保のために必要だったからである。
人余りの現在、電車賃を上げても、そのしわ寄せは労働者だけが背負うことになろう。だから、今すぐ「1.」に書いた市場による解決を実行するのは弊害が大きい。替えの利かない人材の多い企業では、まず労働者の負担を手当て増で補償し、その補償費用が都会に留まる利益を上回るなら移転を決断するだろう。だが、多くの企業は手当てを増やさず、一部の労働者が離職した穴を「状況に耐えうる者」で埋める道を選ぶに違いない。
もし通勤地獄の解消が十分に優先順位の高い課題であるならば、人手不足の実現を待たず、政府が市場に介入することも正当化しうる。具体的には、例えば、従業員の平均通勤距離の長い企業は地方税を増額し、強制的に交通整備のコストを徴収する、といった方法が考えられる。この案の現実味はさておき、「集積の利益を得ている人々から集積のコストを徴収する」というアイデアを理解してほしい。
だんだん人口の減っている街と、人口の増えている街の両方に(短期間であれ)暮らしたことがある人ならば、前者より後者の方がどれだけ恵まれているか、身をもって知っていることと思う。
生活者の視点からいえば、人口の過密は「集積の利益が完全に相殺されるまで、際限なく生活環境が悪化していく状況」と説明できる。60年代、公害の街へ、それでも人はどんどんやってきた。先住民は迷惑ばかり蒙ったようでいて、じつは街の発展による様々な利益を得ていた。個々人が望んだものであろうとなかろうと、間違いなく集積の利益は存在し、そうだからこそ人が集まってきたのである。
本来は市場による解決が望ましいが、優先順位の問題があって公費による解決を選ぶのであれば、住民税を増税するのが妥当だ。先住民を追い出すことが絶対に許されないとするならば、日本で現実に可能かどうかという問題を脇へ置いていうと、「転入後20年間は住民税が3倍」といった案が浮かぶ。集積の利益は全員が享受しているのだから、転入者イジメは不公平だと私は思うが。
実際に行われた施策は、まず土地の利用制限の厳格化と、住宅地の容積率規制だった。物理的に、人口過密地域に住宅を増やさないようにしたのだ。でも、法人事業税は美味しいので、商業地は容積率を緩めに設定する例が多かった。結果、職住隣接は夢となった。
ちなみに1980年と1995年の国勢調査では東京の人口が減少して話題になったが、じつは年平均0.1%の減少に過ぎなかった。1985年、2000年の調査ではいずれも前回の減少分を3倍以上も上回る人口増となっている。1000万人以上が暮らす東京で、人口が5万人にも満たない千代田区や20万人程度の港区の人口減少をドーナツ化現象と呼んで騒いだのは、あまり有意義なことではなかった。東京の人口は「増加にブレーキがかかった」と見るのが実態に近い。
次に、工場は法人事業税より公害問題への対処が頭の痛い問題となったので、地方移転を促進することにした。国家レベルで強力な法律が次々に制定され、大企業の多くは、都会には本社などを残し、工場は地方へ移転させた。「市」や「町」にお住まいの方なら、地元の地図を探せば市街地から離れた場所に工業団地を発見できると思う。よく調べてみると、意外な大企業の工場を見つけて驚くかもしれない。
そして電車の混雑に対しては、電車賃から僅かずつ基金を積み立てて、少しずつ、だが着実に鉄道整備を進めることとした。
いずれも政治的に実現可能な範囲内で最善の策だった……のかもしれない。だが、そのためにどれほど多くの人が苦労をしてきたかと考えるに、本当に他に策はなかったのだろうか、と私は考え込む。