昨日の記事にはひとつ暗黙の前提がある。
それは、「なぜ概ね人手不足の続いた60~80年代を通じて人口過密が自動的に調整されなかったのか」という問題意識だ。90年代以降の人余りの時代においては、そのまま適用することには難がある。
1990年代以降はデフレギャップが恒常的に経済の重石になっており、人余りの状態が続いている。だから、都心で「通勤交通費を支給しない」なんて条件で募集をかけても、応募者がちゃんとやってくる。これでは、たとえラッシュ時の電車賃が上昇したって、企業は痛みを感じない。時差通勤の推奨すら行わないだろう。もちろん、それでも電車賃が2倍、3倍ともなれば、さすがに人件費を増額しないと必要な人材が集まらなくなる。が、少々のストレスなら労働者が背負い込んでしまうわけだ。
電気代や水道代も同じ。元の金額が大したことないので、これが2倍や3倍になっても、新しい土地へ移って転職を目指すには至らない。
上の図を見ると、現在の日本の失業率は5%程度ということになっているけれども、近年の日本の労働力率は60%を下回っている。傾向として、女性の労働力率は高まっている。2000年代の日本で労働力率が低迷しているのは、不景気で若年失業者が増えたこと以上に、60~70代の健康な人が仕事をできずにいることが大きい。自営業(農業含む)の従事者が減り、労働意欲はあるのに、定年後の仕事が失われている。
企業が新卒などに全くこだわらなくなってしまえば、都会の生活費が上昇して従来の採用対象層からの応募者が減るようなことがあれば、採用枠を広げることになろう。仕事が全くないよりはいい、とシニア層がどんどん労働需要を埋めていくことになる。現代の日本にはこうした巨大な労働力のバッファがあるので、企業に集積のコストを負担させようとしても、労働者にしわ寄せが行く可能性が高い。
私の勤務先は、同業他社より給与が低い。だから、ちょっと景気が上向くと、新卒で人を集めることが難しくなる。そこで2006~2008年の好景気では、まず引退したOBを呼び寄せた。新卒の入社5年目程度の年棒でも、応援要請を断る人は滅多にいなかったと伝え聞く。さらに、若年失業者層にもサッと門戸を開いた。これも応募者殺到となった。こうした衝撃吸収装置が機能する限り、新卒に固執する企業を例外として、「人材難を理由とした事業所の移転」が活発になることはない。
とはいうものの。1970年代以降、工場三法によって東京や大阪に工場を新設できない時期が長く続いたが、法律が改廃された後にも、地方に移転する企業・事業所は多々ある。
家電メーカーの多くは、企画・営業・デザインなどの部署だけ大都市中心部に残し、工場は地方に移動した。これはやはり合理的な判断だろう。「開発部門との連携をきわめて緊密にすべき商品」を生産する工場などを例外として、大部分の工場の配置は、今後も見直されないだろうと思う。
高齢者を中心に雇用すれば、いま都会にある工場を地方へ移す必要はないだろう。いったん地方に移した工場を都会に戻すことだって、場合によっては不可能ではないと思う。おそらく業務に遅滞も生じまい。が、地方へ移れば、企業として雇用・管理の経験が豊富なタイプの人材を、人件費を抑制しつつ確保できる。人余りの状況ではあっても、一定のメリットが見込めるのなら、企業は事業所を移すわけだ。
まして人手不足の状況では、一人が抜けた穴を埋めるために、企業はたいへん苦労することになる。逆に労働者は、転職のリスクやコストが低くなるので、「辞めた方がマシ」の基準が下がる。したがって、人手不足の状況下で人口過密による生活費の上昇が起きればどうなるか。企業はまず手当ての増額で当座をしのぐ。これは当然、つらい出費になる。結果、企業は事業所の移転を真剣に考えるだろう。
ともかくそういうわけで、昨日の記事において実質的に私が「こうすべきだった」と主張しているような政策を今すぐ実行することには、必ずしも賛成しない。デフレを解消し、人余りの経済を人手不足の経済に転換することが最優先の課題だ。しかし、集積のコスト負担を受益者にきちんと請求していく施策も、より現実味のある(穏当な)形で、少しずつ強化していくべきだ、とは思う。
例えば、インフラの値段に集積のコストをストレートに乗せることが妥当ではない状況下では、地方法人税を引き上げてインフラ整備を促進することはできないだろうか。いくら企業が儲かっても、個々の労働者、都市の生活者が疲弊しては本末転倒だ。グローバルな都市の魅力競争という問題はあるのだけれども、集積の利益に見合ったコストを負担していただくことすら否定するのは、むしろ不合理だろう。
集積のコストを負担できない企業には、集積の利益を諦めて地方へ移動していただく方がよい。外資系企業や大企業の本社部門などは税金を嫌って海外の大都市へ移るかもしれないが、大半の日本人労働者は日本を離れたくないはずだから、多くの企業は継続性の観点から日本国内での移転を選択するはずだ。