私は、ハードウェアメーカーにのみプラットフォーム選択の決定権があるとは思わないし、プラットフォームがデジタルデータへのアクセスの許可/不許可を消費者の意志を介さずに決定することはおかしいと思っている。可能な限りユーザの決定権は尊重されるべきだし、自由であるべきだと思う。
身近で見かけるマジコン利用が複製された市販ソフトばかりだったら、そりゃあ問題意識を感じるんじゃないだろうか。それを避けるにはマジコンをもっと独自ソフトの開発に利用してもらうよう努力すればいいと思うんだけれど、そんな印象はまるでない。
私は、コンテンツの製作者にこそ自由で強力な権利が認められるべきだと思う。製作者が一定の対価(それは必ずしも金銭とは限らない)と引き換えに消費者の自由を拡大する。消費者には、製作者から認められた範囲内での自由がある。……これが私の考える「基本的な構図」。
Appleが自社のオンラインストアで販売するコンテンツに一律のDRMをかけることに問題はない。独占禁止法がきちんと機能し続ける限り、コンテンツの製作者が他のオンラインストアを同時に利用することをAppleは制約できないからだ。そして、Appleのものに限らずDRMが気に食わない消費者は、DRMなしで楽曲を販売するオンラインストアへの出品を、製作者に求めることができる。
もちろん、DRMがない分、製作者は不安になる。製作者は、その不安と釣り合う水準までコンテンツの価格を引き上げるだろう。安いがDRM付きのコンテンツか、高いが私的複製が自由でプラットフォームに縛られないコンテンツか……消費者には選択肢が生まれ、市場を通じて消費者の投票がはじまる。AppleがDRMによる囲い込みに血道をあげ、一定以上の成功を収めていくならば、自ずと対抗馬はDRMフリーの方向性を打ち出すことになろう。iOSに対するAndroidのように、だ。(独占禁止法が機能する前提で)一定以上の割合の消費者が「自由の対価」を支払う意思を持ち続ける限り、囲い込み勢力が完全に勝つことはない。
現実にはAppleが独占的販売者となって市場を支配することになるのかもしれないが、その場合に問題視すべきは「独占禁止法が機能していないこと」であって、「AppleがDRMをかけること」ではない。
コンソールゲーム(console game)については、これまでのところ、ゲーム性がハードウェアと結びついているという特性ゆえか、消費者の側が「自由の対価」を支払う意思を持たなかった。
しかし古いコンソールから「ベタ移植」されたゲームの一部は、かつてと遜色ないプレイ感覚が得られる。ならば今後、コンソールゲームだって私的複製やプラットフォームからの解放を望む声が出てきてもおかしくはない。
値段は高いがプラットフォームフリー、値段は高いが私的複製が可能、といったゲーム市場が成り立つなら、必ず参入者は現れる。自由経済なのだから、前提が満たされる限り、必ずそうなるはずだ。
アクセスコントロールの法的保護に、私は賛成だ。
今でも公衆送信化可能権などがあって、違法配布に法の網はかかっている。その通りである。が、その規制に実効性を持たせるためには追加の税負担が必要になるが、国民は同意していない。警察予算の制約は厳しく、違法なアップロードをした人が片っ端から捕まっていく日は来そうにない。消費者の意識さえ高ければ、それでも大した問題にはならないが、現実はといえば、とても満足できる状況ではないと私は思う。
その点、マジコンは工業製品であり、その価格などから考えて最低でも5000個くらいは製作しないと元が取れない。だから少ない予算で効果的に取り締まれる。(注:アクセスコントロールの回避に工業製品が必要になるのは、物理的に独自の規格を作っているコンソールゲームの特質。DVDのアクセスコントロール回避はパソコンとドライブとネット経由で入手可能なソフトウェアで実現できてしまうため、法改定後も取り締まりには実質的な壁がある)
ようは、増税ないし他の施策の縮小を受け入れて警察予算を増額するか、現在の予算で取締りを強化できるよう法律を改定し、消費者の自由を縮小するか、という選択だ。あるいは、コンテンツ製作者の被害を放置して、その代わりに何らかの補償を行っていく手もあるのだが、こんな話はまとまらないと私は思う。