趣味Web 小説 2011-01-31

「ブレた」「いや、根っこはブレてない」「……」

1.

中本さんには、ゲームや技術のことだけではなく、物事の考え方を教わった、というか考えさせられた。

CD-ROMが生まれたばかりのころ、「これからは大容量化の時代がやってくる」と言った。ところが、90年代も後半になると「CD-ROMは金と体力を消耗するだけのメディア。これからは容量の小さいものをつくる」という。話す言葉は正反対。

言葉は正反対だけど、根っこは同じであることが私には伝わる。新しいことをする、おもしろいものをつくる、他社と違うことをする‥‥に変わりはない。その手段が時にCD-ROMであり、携帯電話である。

よく政治家の発言が違うと、「ブレた」と言う。私はあの論議が愚かしいと思う。言葉はブレていいんだ、根っこがブレない人は表層に出る言葉はかえってブレやすいんだ。逆に言葉だけをブレないようにすると、思考の根っこがブレてしまうことが起きる。

リンク先の文章全体についてではなく、あくまで引用した部分について。

これはやっぱり、少なくとも言葉を素直に解釈する限りにおいて、中本さんの発言はおかしい。「これからは大容量化の時代がやってくる」ことと「CD-ROMは金と体力を消耗する」ことは、最初から両立している。後から過去の選択についてデメリットを言い立てると、「そんなことは最初からわかっていたよ」という反発が出てくる。とくに大容量化にもともと反対だった人が、ようやく自説に光が当たることになったにもかかわらず、むしろ不愉快になる。「責任取れよ。今頃なにいってんだ、ふざけるな」と。

ここでは平林さんが中本さんの根っこの気持ちを捉えて好意的に解釈してくれたから結果オーライになっているけれども、たいていの場合、そうはならないという実感がある。

最初に「新しいこと、いま面白いことを追求し、他社の先手を打つのが我が社の基本方針である。CD-ROMは金と体力を消耗する。だが今は、万難を排して大容量のコンテンツに挑戦すべきときだ」と説明していれば、後に携帯電話が世に出てきたとき「我が社の強みを活かせるのは、時代の最先端をゆく領域である。これから伸びるのは携帯電話だ。携帯電話の特性を活かした、新しい小容量コンテンツの開発に邁進してもらいたい」という指示に、みな納得がいくだろう。

2.

とはいうものの、「根っこ」にあるものは、しばしば当人にも自覚できないことが少なくない。私も、自分の言葉に矛盾を感じつつも、「うまく言葉にはできないが、根っこはブレていない」という確信だけはある、ということはままある。こんなときに、無理やり言葉の方の矛盾を解消してしまうと、後に悔やむ結果になることが多い。

中本さんも、そうだったんじゃないかな。平林さんが見抜いた「根っこ」を、中林さん自身は、きちんと自覚できていなかったのだと思う。それでも、自分の言葉のブレに動揺することなく、正しいと信じたことを推進していったのではないか。

……中林さんは、仕事を進める大きなエネルギーと人間的な魅力のある方なのだろうと思う。私とは、条件が違う。

私には「ないアタマを、それなりに小賢しく使って生きていく」のが向いていると思う。客観的には「バカの考え、休むに似たり」で時間を浪費しているだけなのかもしれず、「つまらないことを考えていないで、愚直に前へ進むことだけ考えるべき」なのかもしれないが、主観的には「小賢しく生きようと足掻く」のがしっくりくる。「これが自分の生き方だ」という感じがする。

もし可能なら、自分の言葉のブレに気付いたとき、それが「考え方の変化」によるものなのか、「状況の変化」によるものなのかを分析し、以前と「変わったこと」「変わらないこと」を分けて、きちんと説明できるようにしたい。自分ではきちんと説明できているつもりでも、他人には伝わらないかもしれない。それでも、言葉は議事録に残り、記憶に残る。

そして、自分の「変節」の理由に自身が納得できてさえいれば、「ブレた!」という批判に対して、心が折れずにすむ。傍目には頑固なだけに見えたとしても、納得のいかないまま表面の言葉を取り繕ってしまうより、心の健康のためにはずっといい。

最後にもうひとつ。自分が聞き手のとき、平林さんのように想像力を働かせられるようになりたい。そのためには、直感的に「何それ?」「おかしくない?」と首を傾げたときこそ、好意的に相手の言葉を補う必要がある。これが、じつに難しいんだ。

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