趣味Web 小説 2011-02-05

航空規制の緩和に条件付で賛成する

1.

私はライアンエアー社の最高経営責任者マイケル・オリーリーさんの考え方に賛成したい。立ち乗り席(席といっても手すりと金属柱に取り付けられたベルトのみが用意されるそうである)は、座席より安全ではないだろう。リスクは大きい。が、料金がリスクに見合っていれば、消費者は喜ぶと思う。

乱気流に巻き込まれたとき、立ち乗り席の人は、座席の人より怪我をしやすいだろう。それは認められない、というのが現在の航空規制を貫く考え方だ。それは消費者の選択肢を奪う、お節介な考え方ではないか。

新しい時代に登場した乗り物は、古い時代の乗り物と比較して、やたら滅多ら安全基準が厳しい。その甲斐あって、移動距離あたりの事故・怪我の確率は、飛行機が断然低い。その代わり、金持ちしか乗れない。それでいいのだろうか。もし、電車に乗るくらいの気軽さで飛行機に乗れるようになったら、社会はもっと発展するのではないだろうか。

2.

人の死と引き換えの社会の発展などありえない、という主張は現実的ではない。経済発展なしに、日本人の平均余命が30年も延びることはなかった。私たちがこれほど快適な暮らしをできるようにはならなかった。昔を懐かしむ声は常にあるが、「だったら、まずそこのクーラーを取り外してみろ」といいたい。

一般家庭からクーラーを追放すれば、途端に大勢が死ぬ。クーラーひとつで、自動車事故と吊り合うくらいの死者数になるだろう。夏場、人々がクーラーのある部屋で暮せる経済的に豊かな社会に必要なもののひとつは、「適当なコストで運用できる自動車」だ。多くの人々が、経済的繁栄によって生き長らえている。事故は少ない方がよいが、性急に事故ゼロを目指せば、結果的に国民の平均余命は短くなる。

かつてイギリスには赤旗法があった。「自動車は赤い旗を持った人(徒歩)によって先導されなければならない」という、自動車事故をほぼ100%防止するすごい法律だ。19世紀のイギリス議会は、自動車の便利さより、事故によって失われる命の方を重視したわけだ。

しかし、もし赤旗法が存続すれば、イギリスでは今も(昔ながらの乗り物ゆえに規制の緩かった)馬車が走り続けていたに違いない。その非効率は甚だしく、イギリス人の平均余命も生活水準も現在のものとは比較にならなかったに違いない。あるいは、侵略国家に蹂躙され、多くの国民が命を落としていたかもしれない。(現実にはイギリス人が世界中で人を殺したわけで、世界基準で考えればどちらがよかったのか……)

3.

高リスク商品を消費する自由を単純に認めれば、外部不経済が生じる。そこで「メーカーに事故賠償の保険加入と、保険料の価格転嫁を義務付け、保険会社が商品のリスクに応じて保険料率を上下させる」といった施策が考えられる。こうなれば、商品価格はリスク発現時の社会への影響を加味したものとなり、公平な競争になる。

これはこんにゃくゼリーを念頭に書いた記事。旅客機や自動車の場合は、メーカーの責任もさることながら、その後の運用も重要だ。そこで、メーカーと運用者(航空会社や自動車の運転・管理者)の双方に保険加入を義務付けるべきだと思う。

コストを重視して安全基準を緩める格安航空は、保険料が高騰して、それほど格安ではなくなるだろう。それでもある程度は運賃引き下げに成功すると思うが……。ともあれ、リスクとコストを調整する仕組みによって公正な競争の条件を整えた後に、それでもなお消費者の選択の自由を奪うことに、合理性はあるだろうか。

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