2006年(平成18)7月,かねてより「小口シール止め」雑誌の内容が過激化し,成年雑誌マーク表示図書と変わらない現状について,東京都治安対策本部が雑協,出版倫理懇話会と意見交換を行った。都側は秋の審議会に過激なシール止め雑誌を不健全図書として諮問にかけたい意向を表明。出版社側は「小口2か所止め」は中身もほぼ完全に見られず,青少年の目に触れさせない条例の目的は果たしており,内容の是非は刑法175条に任せるべきと主張した。
都条例の改定に関して、twitterなどで「都内のコンビニは既に成年雑誌を取り扱っていません」という情報を何度も目にした。私は「そんなバカな」と思っていたのだけれど、「小口シール止め」雑誌の内容が過激化し,成年雑誌マーク表示図書と変わらない現状
という率直な記述に接し、疑問が氷解した。
ここからリンクを辿って自主規制団体の事情聴取結果を読んでみると、「これは熟女ものなので青少年が手に取る可能性は低い」とか、「値段が高く青少年の買うような商品ではない」などといい、「だからこの商品の区分販売を義務付ける必要はありません」という意見が繰り返し出てくる。
東京都は、「内容で判断する」立場を取っている。実際には青少年が手に取るとは考えにくいコンテンツであっても、その内容が「不健全」なら、区分陳列を義務付けたいわけだ。
出版社側は、この考え方に昔から反対し続けている。区分陳列されると客層が狭くなってしまう。だから、価格の設定や、表紙のデザインなどをうまくやって、青少年の関心をひきつけないようにした商品は、一般の棚で売ることを認めてもらいたい。
多くの都民は、じつのところ、子ども云々以前にまず自分が「不健全」なコンテンツを視界から追い出したいのではないか。現行の都条例は、そうした民意を反映しているように思える。
自主規制団体の意見を無視して不健全指定がなされるのはおかしいじゃないか、という意見をネットで散見するが、規制は条例に基づいて行われるのだ。条例を無視して区分陳列の強制に反対しても、都側にスルーされのは当然。都が自ら条例を無視するようになったら、むしろ民主主義的にヤバイ。
「小口シール止め」も同じだろう。「立ち読みできないのだから、成年雑誌マークを外して混合陳列していいよね?」という考え方はあってよいけれども、それは今あるルールとは違っている。ルールを変えたいなら、議会で戦うべきだ。なし崩し的に運用の実態を操作しようとするのはおかしいと私は思う。内容が成年雑誌マーク表示図書と同じなら、小口シールの有無によらずマークを表示し、区分陳列の対象とするべきだ。
レンタルビデオ店の場合、アダルトビデオの類が一般客の目に触れないよう、布などで床から天井まで店内を仕切っていることが多い。以下、これを「100%の区分陳列」と表記する。いま、少なからぬ人々が「とくに過激な内容の書籍には100%の区分陳列が必要」と考えていると思う。
コンビニエンスストアで実現可能な区分陳列が「50%程度」であるならば、その状況に見合った内容の制限はあって当然だろう。もし「成年雑誌マーク付き図書は100%の区分陳列が妥当」というのが社会的なコンセンサスならば、コンビニで「足切り」が起きても致し方ない。他に販路が残されている以上、「コンビニからの排除=表現の自由の侵害」とはいえないと私は思う。現状、R15+の映画のDVDなら扱うコンビニがあるが、アダルトビデオはないと思う。これを「表現の自由の侵害」と捉えるべきか?
ようするに、小口シール止め雑誌の内容が成年雑誌マーク表示図書と同じならば、その区分陳列は同等の水準でなされるべきだ。コンビニからマーク付き雑誌が消えた理由が「100%の区分陳列がコスト的に無理」という理由だったなら、内容に差のない小口シール止め雑誌がコンビニから消えても致し方ないのではないか。
私はアダルトビデオと成年向け図書の「不健全さ」の程度に差はないと認識しているから、前者の規制に反発しない人が、後者を前者と同等に規制しようという話にばかり猛反発するのは、不合理だと思う。
内容に新味はないが、なかなか面白い。2回開かれたきり中断しているのが残念。