いま「原子力発電を今後も推進し続けるかどうかの結論を議論によって決めねばならぬ」という発想がネットの片隅で渦巻いているのだけれども、私は初級の経済学の教科書が好きだから、少し違うことを考える。
端的には「市場の再設計をして、人々の自由な判断に任せたらいいんじゃないの?」と思う。
原発推進派が主張する原発の利点のひとつはCO2の排出が少ないこと。発電所の建設・解体をはじめ、発電の周辺ではある程度のCO2排出は避けられないが、火力発電所などとは比較にならない。しかし現在、この利点は外部経済性となっている。つまり、市場の外にある。でも、これを内部化するのは難しい。
そこで、逆に考える。火力発電にはCO2排出という外部不経済があるので、火力発電から炭素税を徴収することにする。こうすると、火力発電の真のコストが市場から見えるようになる。
一方、福島第一・第二原発の事故(とくに第一原発の事故)により、大きな被害が出た。今回は東京電力が単独で全被害を補償することが難しいので政府が一部を肩代わりすることになりそうだけれども、こうしてリスクが顕在化したわけだから、今後はリスクを見越した補償費の積み立てが必要かもしれない。事故1回につき補償費用が3兆円程度だとして、30年に1回の割合で事故が起きるなら、長期で均せば年間1000億円のコスト増になる。「違う、これから次々と事故が起きるのだ、5年に1回で再計算しろ」ということなら年間6000億円。別にそれならそれでよい。
……あ、外部不経済を市場に取り込む際に、恣意的に炭素税とか補償費の積み立てとかの金額を決めてしまうのでは本末転倒だな。適切な炭素税はいくらか、補償費は年額いくら積み立てればよいか、という点も、市場を通じて明らかにしたい。
補償費の方は、原子力発電所を持つ電力会社に保険契約を義務付けて、保険会社の自由競争に任せる、という手がある。保険会社が優秀な技術者を雇い、検査官として派遣することと引き換えに保険料の割引をする……といった競争が行われ、10数年後には意外なほど保険料が低位安定するような気がする。
だから難題は炭素税かな。こっちは「加害者」が多すぎて、温暖化の「被害者」が火力発電所だけをつかまえて訴えるとは考えにくい。とすると、こればっかりはどうしても議論で決めるしかないのか。