いま東日本の電力不足が深刻化し、計画停電が行われている。西日本の電気は60Hz、東日本は50Hzなので、西から東へ電力を融通できず、夏場にはいっそう深刻な事態に陥ると予想されている。
が、今後も周波数の統一は行われまい。今にして思えば、「明治時代に統一しておいてくれたらどんなによかったか」という話なのである。だが、周波数統一のための経費負担が大きすぎる、という理由で問題は放置され、経済発展に伴いますます周波数の統一コストは上がっていき……そうして、現在に至る。
現下の状況を見てもなお、周波数の統一は赤字だ。冬には電力供給が回復するというならば、半年くらい、我慢した方がよほど安い。しかし、明治時代に周波数を統一するために必要だったコストは、現在の計画停電による経済損失の1か月分より小さいだろう(根拠なし)。おそらく、100年後に今回のような災害が再び起きたときには、「2011年に周波数を統一するコストは、2111年の計画停電による経済損失の1か月分より小さかったはずだ」と、ご先祖様を呪う声が出てくるだろう。鉄道の広軌、狭軌も同じである。
おそらく、どうしようもないのだ。人の一生は短い。ふつうは5年か10年、どんなに思い切っても高々50年で元が取れなきゃダメなのだ。「100年我慢すればコストをメリットが上回る」という場合、100年経たずに死ぬ99%超の人々にとって現状維持の方がマシなのである。
例えば、明治時代に無理をして周波数を統一したら、そのコストを回収するために数十年間にわたって電気料金が高止まりし、それゆえ電気の普及が遅れ、日本経済は停滞したのかもしれない。当然、医療・福祉の水準も足を引っ張られたろう。日本人はそれを「子孫のため」という大義名分で我慢できただろうか?
この小文を書きながら、東ティモール、ユーゴスラビアの分裂、あるいは旧ソ連の小国群のことを連想した。日本は大国だから、東で大震災が起きても西は健在だが、欧州やギニア湾周辺の小国などは、東日本大震災クラスの大災害が起きたとき、国全体がダメージを受ける。
東日本大震災に対して「国際社会」はたいへん温かい手を差し伸べてくれたが、派遣された人員も提供された資金も必要量の1割足らずだった。9割超は自国で賄わねばならなかった。それが現実だろう。独立のメリットは国家壊滅のリスクすら背負うに足るという判断なのだろうが、2004年のスマトラ島沖地震はアチェの独立戦争を終結させた。まだ戦争中だったので生活感覚が勝ったわけだが、独立から10年ほども経っていたなら、国が滅び人々が死ぬのを座視することになったろう。
その後のユーゴ紛争で霞んでしまったが、1993年のビロード離婚は、私にとってはショックだった。民族的アイデンティティの曖昧なドイツ人が東西統一を喜んだ、僅か3年後のことだ。1994年にはルーマニアとモルドバの再統合も流れた。その後も、世界的には小国分立の流れが止まらない。