趣味Web 小説 2011-04-13

就職活動の思い出

今日も就職活動の話。私は2001年の3月から7月までの4ヵ月半、就職活動をした。

1.

私と同期入社の20数人のうち、SPIなどのペーパー対策をやっていたのは4~5人だった。大学の就職課の先生や就職サポーターの方に相談して模擬面接を受けたのが1人、友人・知人と面接の練習をした人すら2~3人しかいなかった。提出前の履歴書を他人にチェックしてもらったことがある人も、ごく僅か。

数日経ってから合否だけ知らされるので、何社落ちたところで反省点もわからない。就職氷河期だったというのに、みな「怖い」「厳しい」というばかりで、ロクに対策をすることもなく、無為無策のまま10社、20社と落とされ続けた。模擬面接や履歴書の第三者チェックをした方がいいことはわかっていた。誰に頼めばよいかも知っていた。なのに、やらなかった。私もそうだった。

就職活動には苦労した。結局、素の自分を受け入れてもらおうとしたのが間違いだったのだ。自分は背伸びして就職しようとしていたのだから、履歴書も、面接で話すことも、背伸びする必要があった。相手の都合に自分の方が合わせる必要があった。当たり前のことだ。落ちて落ちて落ちまくって、ようやく、ストンと胸に落ちた。それから間もなく、複数の会社から同時に内定をいただいた。

「当初は眼中になかった素敵な会社に入れてよかった」というのは結果論だ。あの日々を思い起こせば、時間を浪費したとしかいいようがない。

2.

2002年2月、研究室の同輩が後期の院試に落ちた。もうどうにもならないので就職するしかないという。仕方なく先生は、地元の小企業に紹介状を書いた。ただし、紹介状を渡す条件として、「誰に見せても恥ずかしくない履歴書を仕上げること」「面接の練習を十分に行うこと」の2項目を挙げた。私は、履歴書の1次チェックと模擬面接の副面接官を担当することになった。

まず履歴書のチェック。研究室の同輩は、なかなか履歴書を見せてくれなかった。何度も書き直しているのだという。ようやく彼が履歴書を持って研究室に現れたのは、期限前日の昼頃だった。夕方までに郵便局へ速達の依頼をしなければ間に合わない。彼の履歴書を見て、私は愕然とした。

詳細は書かぬ。ともかく、即座に書き直しとなった。続いて就職を決めた院生の先輩がチェックする。また書き直し。日が暮れた。先輩の再チェック。翌朝までに、再び書き直してくることになった。翌朝、やっと先輩のOKが出て、先生に見ていただいた。「よし。だが、間に合うのか」先生は、それだけ仰った。彼は先輩の軽自動車に乗って直接会社へ履歴書を届けに行った。

続いて面接の練習。履歴書のことで彼は信用を失っていたので、本番の3日前には先輩が電話で彼を呼び出し、模擬面接をはじめた。1週間前の時点では「なるべくきなさい」といっていたのだが、彼は顔を出さない。そこで先輩は電話をかけ、「なぜこれないのか。バイトは午後8時に終る? だったら、それからこい。徹夜で面倒を見る」と詰め寄り、当日は朝から何度も電話して現在地を報告させ、無理やり研究室へこさせた。

彼は卒論のまとめも一時休止して「空き時間はずっと一人で面接の練習をしていた」はずだった。ところが、やはり模擬面接はボロボロだった。よく話を聞くと、たしかにあれこれ考えてはいるのである。

私は、「自分の4ヶ月余りの苦闘も、こういう惨めな努力だったんだな」と悟った。昔から、成績と無関係な、あくまで自分の実力を知るためのテストでも、受けるのは嫌だった。抜き打ちテストには「エーッ!!」と抗議の声を上げたものだ。私が履歴書の第三者チェックから逃げ続けた理由も、面接の練習を自分一人だけでやりたかった理由も、同じだった。

彼の履歴書は、たった一晩で見違えるように進化した。面接の受け答えも、2日で別人のように堂々としたものになった。「すごい!」と私はいったが、心は冷めていた。他人のチェックを受け、自分の欠点を客観視する効果は、最初から、よくわかっていたはずなのだ。なのに、どうして自分はそうしなかったのだ? その答えは、目の前にあった。

悲しいからだ。苦しいからだ。泣きたくなるほど、つらいからだ。顔を歪め、背中を丸めてしまう同輩を目の前にして、私は身を切られるような思いがした。

3.

たいていの人は、自分に甘いのだと思う。履歴書がダメなまま、面接が下手なままの方が、客観的には悲惨なことになっていく。でも、合否の結果しか通知されないなら、主観的には深く傷つかない。でも傷ついてはいるので、「つらい」「苦しい」と人並みの苦労をしているように錯覚する。

あちこちの会社に落ちて落ちて落ちて、だんだん履歴書の志望動機欄を埋めるのにも慣れてくる。だが実際は、どんな業種でもちょっと書き換えれば通用する、個性も内容もない文章を書き慣れただけ。むしろ雑になっている。本当はわかっている。でも、ごまかしている。敗北の連続が、無駄だったとは思いたくないから。

面接も同じ。面接官の言葉を自分の狭い体験に結びつけるのがうまくなったようでいて、それが有効なアピールになっていない現実から目を背けている。調子よく喋っているときだけ語勢が強くても、自分の中に確信がなければ、途端にボロが出る。うまいことをいおうとする必要などないのに、これは有意義な努力なのだと自分を騙す。己の薄っぺらさを満天下に晒すだけだと本当は気付いているのに……。

就職活動を続けるうち「ストンと胸に落ちたこと」を私が明瞭に言語化できたのは、じつは就職活動後のことだった。就職担当の先生に報告がてら少し長い話をしたとき、ようやく自分の就職活動の顛末を理解できた。いや、それもまだ甘かった。自分のみっともなさ、情けなさを、正視していなかった。だから、半年後に研究室の同輩の就職活動に協力する中で、ショックを受けたわけだ。

愕然とするような履歴書も、衝撃的なまでに下手な面接も、全て自分だった。やっと本当にわかった。これは落ちる。落ちて当たり前だ。日本の名だたる大企業が、こんなのを簡単に採用したのでは、むしろヤバイ。だけどみんな、最初はそうさ。私が恥ずかしいのは、現実から目をそらし、漫然と様々な企業を受けては落ちるのを繰り返していたことだ。

周囲の働き掛けの賜物とはいえ、こうして身を切られるような場へ出てきて、のた打ち回って苦しみ、そしてメキメキ成長した同輩は立派だ。私にはできなかったことを、やってのけたのだ。尊敬する。

補記:

客観的には、履歴書の第三者チェックも、他人を交えた面接の練習も、やらない理由がない。けれども、当人にとって苦痛が成長の喜びを上回るなら、自発的にそれらをやろうとすることはないだろう。

素晴らしい履歴書を仕上げれば、もちろん嬉しい。しかし、そのために必要な苦痛は、たいていの人にとって、嬉しさの数倍にもなるだろう。他人様から見れば、それで生涯収入が数千万円も変わるのだから、余裕で元を取れる。だが人の気持ちは、もっと短いスパンに焦点を当てるようにできている。

小中学校の抜き打ちテストごときを、なぜあれほど嫌だと感じたのか。零点だっていいはずだ。自分の実力を認識して、今後の学習に活かすことが大切なんだ。でも、「仕事の進捗状況を今すぐ報告してくれ」といわれると、ヒューッと胸に風が吹く。週末の定例会議までに何とか遅れを取り戻そうとしているところなのに……。ダメな自分と向き合って傷付くことを恐れる弱さは、何も変わっていない。

たぶん、報告会議がなかったら、私はどんどん仕事を遅らせていくのだろうと思う。優秀な人は、自分で自分を追い込んで、どんどん前進していくから、進捗報告会議なんて時間の無駄だろう。そういう人は、履歴書の第三者チェックだって、無意味と感じたろう。他人はヌルいからだ。面接の練習もそうだ。就職サポーターは、基本的に優しい。何とか褒めて伸ばそうとする。だから録画のセルフチェックの方が緊張感があったろう。

でも、私のような凡人は、そうはいかない。好きにしていいといわれれば、自分を甘やかしてしまう。苦労してます。頑張ってます。主観的には、そう。全力でやっているつもり。でもそれは、本当は全力じゃないわけだ。自分で自分を騙しているに過ぎない。

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