同じことを何回でも書く試み。
muffdivingさんは日経ベンチャーの記事をバカにしているんだけど、私は、採用する側は原則として勝手な基準で採用すればいいと思う。おかしな基準で人を採用する企業は、いずれ市場競争に敗れていくはずである。嘘をついてはいけないとか、**については必ず事前に説明しなければいけない、といった一定のルールはあった方がいいと思うが、ルール外の部分は自由でいい。
履歴書は手書きに限るとか、印影が曲がっていてはいけないとか、そういう基準で採用する会社を、観念的な批判にさらすべきではないと私は考えている。そのような批判は有害無益だと思う。なぜなら、批判する側に実証的なデータが全くないからだ。字がきれいで印影の角度がきっちりしていることと、仕事の成果に、相関がないとはいいきれない。ならば、口先の議論ではなく、市場競争で白黒つけるべきだ。
いまどき大企業ならたいてい履歴書はプリンター出力でOKになっている。印影が傾いているといって落とされるなど、まず考えられない。そうだからこそ逆に、そういう「つまらないこと」を採用の重要ポイントとする会社も存在していいはずだ。確かな根拠もないのに「時代遅れ」を攻撃して、世の中を「現代」とか「常識」の色で塗り潰すのは間違っている。
ヘンな採用基準を就職希望者の側が攻撃するのは、奇妙なことだと思う。そんな会社、入ってもいいことないに決まってるじゃないの。自分の価値観と社風がマッチしていないということでしょう。
自分の会社の人事がヘンな採用基準を打ち出したというなら、「ふざけんな。そんな基準で採用の可否を決められたら俺が困る」と思うのも理解できるけど。
例え話をしたい。自分がひどいと感じる色のペンが文具店に売られているとする。それが自社の商品なら、営業や開発に「何やってんだ。こんなのダメだろ」と注文をつけたくなる。でも買い手の立場なら、単にスルーすればいい話でしょ。世間の常識とやらがマイナーな価値観を押しつぶすような社会は嫌ですね、私は。その大前提さえ共有されていれば、「この色は私の好みではありません」というのは自由。だけどその場合、「こんな色のペンを売るのは許せない」みたいな言い方にはならないはずではないか。
リクルートスーツの慣習に不満を述べる人もちょくちょく見かける。あれも、気にしてない会社が相当に多い。学生たちが勝手に怖がっているだけだ。ちなみに私は、父親が太って着れなくなった若い頃のスーツをもらって就職活動をした。雑談風の面接だとそのスーツが話題になることがよくあって、「じつは……」と話すと感心されることが多かった。スーツが話題になった面接では落ちたことがない。
転職については経験がないので触れないが、新卒で就職を目指す学生は、自分が正しいと思うことを恐れずに貫くのがよいと思う。自分を曲げてでも入りたい会社があるというなら別だけど、数十社にエントリーシートを送るような就職活動をするなら、相手に合わせるという考え方だと自分を見失ってしまうと思う。
個人的な体験を安直に一般化していわせてもらうと、数十社から落とされ続けているとしたら、それは自分の方針がまずいのではなくて、実力より上の会社を狙っているから。適切な水準の会社を受ければ、必ず通る。そういうものだと思う。
そうして学生たちがちゃんと「自分に合った会社」を選ぶ気概を持てば、企業の方こそ、真に必要な能力以外の条件で学生を落としてしまうと、有為な人材を逃してしまうリスクが高まる現実と向き合わねばならなくなる。だが、真に必要な能力とは何か、どうやったらそうした能力のある人を選別できるのかがわからない。わからないからこそ、自由競争を維持することが重要である。