趣味Web 小説 2011-06-01

差別の構造がなくとも職業として成立する

全く賛成しない。かつて、カメラの前で実際には愛していない相手とキスなどをし、その姿を大勢に見せる映画俳優は、親泣かせな職業といわれた。成功して大勢にちやほやされても、侮蔑の視線を投げかける者は少なくなかった。それがいつしか、俳優を蔑視する者は少数派に転落していった。

では、「カメラの前でキスをするなんてはしたない」という蔑視が衰退した結果、偏見を引き受ける覚悟がなくても俳優をできるようになり、俳優が職業として成立しなくなってしまったのかといえば、決してそうではない。底辺の俳優が本業で食っていけなかったのは、昔も今も変わらない。

「AV女優」や「風俗嬢」だって、「差別の構造なしでは職業として成り立たない」なんてことは決してないと私は思う。思うだけで、具体的な根拠はないが、差別をはねのけてきた数々の職業の現在を見るにつけ、私の思いは確信に変わっていく。

仮に現在の収入の一部が差別の対価だとしても、それはオプション。その部分がゼロになったからといって、収入ゼロにはならないはずだ。

その視線に対するお手当で給料がいいの。一生を生きるには安いかもしれない。もちろん安いだろう。だから「体売るやつはバカ」「売るよりも他に手段があるはずだろ」ってみんなが言うんじゃん。

なんでそういう現状を当然視するの? 非生産的な差別の構造を破壊し、偏見の対価分を削って、ふつうの職業に転換すべきだと、どうして考えないのか。

「収入が上乗せされていたんだから、嫌なことがあっても黙ってろ」なんてのは、人を黙らせる詐術だ。「いったん受け取ったものは返せない」という前提をどこかから持ち込んで道を塞いでみせているに過ぎない。本当に「上乗せ分は蔑視の対価として安すぎる」なら、上乗せ分を返上して蔑視がなくなることを望む人の方が多いだろう。

だいたい、「視線の対価を受け取ったけど、その後、差別の構造が破壊されたので丸得になった人たち」がいたっていいじゃないか。職業差別をなくす意義は大きいのだから、周辺でその程度の幸運(=メリットの不平等な配分)はあっていいと思う。

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